sweet words of love.
こちらは美珠が書く、恋愛小説ブログサイトです

serendipitous love:1

 「私、いるの場違いだと思うよ」
「私も場違いよ」
「結子はお嬢様だけど、私は一般人。ついてくるんじゃなかった!」
 こそこそ話すしかないけれど、あまりこそこそ話していたら、お金持ちっぽい人がこちらを見て眉をひそめている。キラキラした派手なネックレスや高級時計、美しいロングドレスに、芸能人のように結い上げた髪の毛。
 パーティーだと言っていたけれど、これはパーティーというより、一般人から見たら社交界の場、という感じ。
「もう、帰る……」
 この雰囲気に耐えられなくて、幼馴染で親友でもある槇原結子に背を向けると、彼女はガシッと腕を掴んだ。
「ダメ! 待って千野! お願い! 私はお父さんの代わりに、ちょっと来てるだけだから。あの辺の人たちと話したら帰るから!」
 あの辺、と指さす人々は、とにかく着飾った人たち。男の人はみんなパーティー仕様のスーツ。女の人はロングドレス。それで結婚式ができるんじゃない? という恰好だ。
 結子もまたロングドレスだが、こっちはひざ丈のドレスだ。しかも、ぜったい桁が違うほど安いドレス。たぶんこちらをチラチラ見ているお金持ちの人たちは、きっと結子ではなく自分の恰好を見ているのではないかと思うくらい。
 佐藤千野は肩身の狭い思いをしながら、ここにいるというわけだ。
「……わかったよ、わかった。いるから……できるだけ早くね」
 本当に帰りたい。そう思いながら言うと、結子は何度もうなずいた。
「わかってるよ。私だって耐えられないもん。千野、ご飯食べてて。端っこにあるから大丈夫だよ。お酒も飲んでいいからね」
 飲んでいいからね、と言っても千野は明日、二十歳になるのだ。まだ今日までは未成年なので、お酒は飲めない。というか、飲もうとさえ思わない。
 しょうがないから、食事がとれる場所へと向かう。
 色とりどりのビュッフェスタイルの料理は、素晴らしいけれど、果たして食べていいのか、と思う。
 とりあえずお腹がすいたので、手を出して食べるけれど。
「美味しいけど、美味しくない……」
 きっとすごく美味しいものなのに、この場が美味しくさせないのだ。
 まるで熱帯魚のようにヒラヒラしたドレスもあれば、蝶のように美しい振袖を着た綺麗な人もいる。もちろん、色を抑えた袖の短い着物の人もいるが、とても高そうな代物だ。
「結子のドレスも、私のと違って高いんだろうなぁ……」
 髪の毛は、結子の家にスタイリストを呼んで、結い上げてもらった。
 彼女は小学校のころからの友達だが、高校生の頃に父親がIT関連の事業に成功。一気にセレブに駆け上がり、いわゆる億万長者、となったけれど。
 家は相変わらず、4LDKの一戸建てで、千野の家の隣に住んでいる。
 普通の住宅街に住んでいるから、たまに社員が面食らうらしい。たまに千野も、なんでもっと豪勢なところに住まないんだろう、と思う。
 家の中の家具や使っているものは変わったけれど、槇原家は基本的にセレブな暮らしが合わないとのこと。両親も、結子も、その兄も頑張ってみたものの、肩がこるらしい。
 でも、社交の場に誘われることは多いので、行かなければならないとのこと。
 今回は父もその兄も都合がつかず、挨拶のみという理由で結子だけが、この場にいるのだ。でも一人じゃ心細いということで、同伴という形で千野が付き添っているのだ。
「内輪のパーティーって言ったのに……めっちゃ、人いるじゃない」
 庶民が抜けない、と言ってもさすがセレブのお嬢様。若い男の人に囲まれたり、いかにもセレブのお姉さまたちに囲まれ、笑顔で話をしている。
 結子は親友なのだが、こういうところを見ると、どこか遠い人のようだ。
「百人くらい絶対いるんじゃない?」
 本当に場違い、という言葉が似合う今の千野は、この場を速く後にしたい気持ちでいっぱいだ。
 「ってか、もっといいドレスが良かったよね。持ってないんだけど」
 上半身が黒で、スカートの部分がオフホワイトのチュールドレスになっているそれは、一応パーティー服。でも全くそう見えないのが悲しいことだ。
 ため息を吐いたところで、なんだか人々がざわつき始める。いったい何だろう、と思って視線を移したが何が何だかさっぱりわからない。
 人々の目線が一人の人に集中しているのが分かるが、代わる代わるそこに人が集まるので、誰だかまったく見えなかった。
 きっとすごいセレブでも来たんだろう。
 そう思いながら、何か揚げてある食べ物にパクついた。
「あ、コレ、美味しい」
 何がなんだかわけがわからないし、とりあえず食べることしかできない。
 千野はお腹いっぱいにして帰ろう、と思い新しい料理に手を出すのだった。



 お腹いっぱいになっても、結子は帰ってこない。
 というか、一足先に二十歳になっている彼女は、お酒を飲んでいた。どうも若いセレブたちと気があったらしく、ふと垣間見ただけでも楽しそう。
 誕生日一日前というのに、自分は何をやっているんだろう、と空しくさえなってしまう。
 一度戻ってきた結子は千野を誘ったけれど。
 千野はそれを丁重に断った。住む場所が違う人と仲良くなっても、と思うし、まず自分の恰好が恥ずかしいとさえ思えているからだ。
 ドレスを貸して、とでもいえばよかったのかもしれない。
 結子のことは好きだし、いつまでも友達でいたいけど、こういう時は疎外感を感じる。
 結局この場にもう一時間半ほどいる。一時間くらいで帰るから、と言っていた結子だが、そのことも忘れているだろう。
 彼女持つワイングラスが綺麗で、千野は今日何度目かのため息をついてしまう。
 ずっと立っていても足が痛いし、慣れないパンプスは疲れる。
 座れる場所くらい探してもいいだろうと思いながら、パーティーの喧騒からそっと抜け出す。
「ご気分でも悪いのですか?」
 どうもこの屋敷のスタッフらしい人が声をかけてきたが、そうじゃないので首を振る。
「いえ、あの……外の空気を吸いたくて。大丈夫ですから」
 千野がそう言うと、笑みを浮かべてあっさりと立ち去る。彼らは教育が行き届いているのだろう。引き際もスマートで、千野はさすがだな、と思う。
 大学の冬休みは始まったばかりなのに、今のところは何の予定もない。祖父の手伝いで、年末に向けて依頼された家の庭の手入れを手伝うくらいだ。
 祖父は長年一つの屋敷のガーデナーとして働いていたが、今は時々手伝いに行くくらいだ。それはなぜかというと、その家の主人が亡くなってしまいからだという。
 家の主人の息子だけ取り残されて不憫だと言っていた。しかし、その息子も高校からイギリスの学校へと留学してしまったので、定期的に庭の手入れをする程度になったとのこと。
 千野は祖父の影響で、ガーデニングに興味を持ち始め、それを学ぶために芸術大学へと進学した。本格的に学ぶガーデニングは建築学も含め、奥が深い。今はそれが楽しいとさえ思える。
「家に帰ったら、デザイン考えないと……」
 冬休みの課題もたくさんある。
 こんなことならパソコンの前に座って、庭のデザインでも書いていればよかった。
 ため息をつきながら角を曲がると、目の前には水槽があって、それが壁のようになっている。たぶんデザインだろうが、やや薄暗い廊下は、まるで水族館みたいだった。
 おまけにそこにはキレイな丸い形をしたクラゲしかいなくて、千野は目を丸くする。
 もちろん水槽だから完全な壁じゃなくて、まるで向こう側が見える仕切りみたいな感じだけれど。斬新なデザインで、もうすでに興味はそこにしかなかった。
 お金がかかってそうだと思いながらも、水槽の向こうに見えるその部屋の景色が、カウチやソファーが置いてあるだけなのに、水の中にあるように見える。
 一人、すぐそばのカウチに男の人が座っているが、その人も水の中にいる錯覚さえあった。
 あまりにもキレイだからじっと見ていると、カウチに座る男の人がこちらを見る。
 男の人というよりも、同年代くらいの男の子、という感じ。
 首や顎のラインがキレイで、水槽越しに見えるその顔は、驚くほど整っていた。
「う……っわ」
 少し長めの黒髪は、緩く七三で分けていて、動くたびにサラリと揺れる。水槽に近づいてくる彼は間近で見ると、もっと綺麗な顔をしていた。それでいてなんというか、高貴そうな顔をしている。
 首を傾げて、水槽越しに千野を見るその目の色が、あまりにもキレイだった。彼の顔を覗き込むようにジッと見ると、クラゲがフワフワと何度もよぎる。それを目で追うと、彼もまた目で追った。
 そうして視線を元に戻すと、また視線が合う。だから千野が笑みを向けると、彼はキレイな形の目を瞬きした。
 まるで寝たら目を閉じて、起こしたら目が開く、精巧で緻密な美しい人形みたいだ。
 水槽に手をぴたりとつけた彼は、人形じゃなくて人間だと分かる。千野は彼に見入っていた。こんなにキレイな人、見たことがない、と思ったから。
 そろそろ結子が探していないだろうかと思うけれど、ここから離れがたくなっていた。さっきまで帰りたいと思っていなのに、これはどうしたことだろう。
 彼が水槽に手を付けたまま、ゆっくりと移動する。それに促されるように、千野も同じ方向へ移動して、行きついたのはドアだった。
 このドアを開けたら彼がいるのかもしれない。そう思うとドキドキして開けられなかった。
 深呼吸して、ゆっくりドアを開けると、目の前に立っていたのは先ほどの人形のような男の子。
 近くで見るともっと人形のように整った顔をしていた。日本人にしては茶色の目が特にキレイだった。
「あなたは誰だ?」
 聞き方に違和感を覚えたものの、変には思わなかった。
「佐藤千野」
 素直に名乗ったが、今時フルネームはないだろう。気恥ずかしくなっているのに、彼は意にも介さず、千野を見て名を呼んだ。
「では、サトウユキノ、あなたに時間はあるのか?」
 千野がうなずくと、彼はほとんど表情を変えずに、千野の手を引いた。遠慮なく手を握るそれに、不快な感じはしなかった。普通だったら、手をふりほどいているはずなのに、なぜだか彼には許してしまっていた。
「よかったら、あなたと話をしたいんだ。支障がなければ」
 彼の言葉はちょっと変だ。今までこういう話し方をする人に出会ったことがなかった。上から目線のように話すけれど、嫌な感じじゃないところがまた印象的だった。
 きっとこの人もセレブなのだろうと思う。彼の着ているスーツは、明らかに上等なものだった。濃いブルーの上下に、淡いブルーの光沢のあるシャツ。ネクタイだけは少し派手な色をしている。
 色白の彼に、ブルーはものすごく似合っていた。白さを引き立たせるような気さえする。
 彼からの提案に、千野が何も言わずうなずくと、手を引かれる。
 いったいどこに行くのか見当もつかなかったけれど。
 彼の手が人形と違って温かく、柔らかいことに、とてもホッとした。
 だから、何も言わず、ついて行くことにしたのだった。



 手を引かれて向かった先は、どうもテラスみたいな場所だった。大きくて座り心地の良さそうなソファーがコの字型に置いてある。
 この人はゲストのはずなのに、この家を知っているようだった。
「電気は……?」
「スイッチの場所が分からない」
 知っている家だと思っていたが、そうでもないらしい。
「遠目で、ここはテラスだと思った。話をするには良い場所だと思ったが、庭の趣が良くない」
 そうかな、と思って庭を見ると、木の壁と石造りのアーチのみ。テラスにしては何も鑑賞するものがないことに気づく。
「ああ、ホント。これじゃ、お茶をする気にもなれない。良くて昼寝くらいかなぁ」
「意見が率直だ」
「そっちこそ、趣が良くない、って言ったでしょ」
 人形のように整った顔の薄い唇に、わずかに笑みを浮かべたそれが、ものすごく魅力的だった。擬音語を使えば、ギュンと来た、という感じ。
「まぁいい。今夜は月が綺麗だ」
 その言葉を普通に聞くと、ロマンチストと気障の紙一重。もしくは夏目漱石が好きなのかな、と思うくらいだ。この人の言った言葉でなければ、笑って一蹴するだろうけど。本気で言っているそれが伝わるから、そうだな、と思って月を見る。
 月明りで明るいほどの部屋だ。むしろ、本当にロマンチックな雰囲気。
「これで、庭とテラスの配置が良ければ、ものすごくいいのに」
 千野がぼやくと、彼は手を優しく手を引き、ソファーへ座らせた。エスコートし慣れている感じがわかり、そう年が違わないはずなのに、と思う。
 月明りに向かって座ると、彼の容貌が際立つ。それと同時に、千野よりも年下なのではないかと思う。背は千野より高くても、顎や首のラインがキレイで、幼さを感じる。なのに、千野とそう変わらないと感じるのは、その言葉遣いと、どこか大人びた雰囲気だろう。
「この屋敷自体が美しくない。こんなものなんだろう」
 そう言って、ソファーに背を預ける彼は眉間に眉を寄せた。こめかみに指を滑らせると、長めの黒髪が揺れる。ふう、と小さく息を吐くその表情は、やや険しい。
「頭が痛いの?」
「ああ、さっき薬を飲んだ。うるさくない場所に行きたかった」
 確かに、音楽と笑い声が絶えない場所だった。だから千野もその場所から離れたのだ。
「あの水槽だけは見事だった。揺れている魚が綺麗だ」
「クラゲでしょ」
「ああ、そうだ。クラゲだ」
 突っ込みを入れたくなるような言葉ばかり。なのに嫌な感じはしないし、聞いていて心地が良いのは、彼の声が良いからだろう。高すぎず低すぎない男の声は、心地よかった。
「あなたはなぜここにいる?」
 聞かれて一瞬言葉に詰まる。
「……友達の付き添い。私は呼ばれたわけではないんだけど、友達が一緒に来てって言ったから」
 千野も彼のように、ソファーに寄りかかった。本当に何をしているんだろう、と月を見上げる。月はキレイなのに、心はそうでもない。結子は結局楽しんでいたし、別に千野がこの場にいる必要はなかったのでは、と思うのだ。
「呼ばれない方がいい。あまりにも招待が多いとうんざりする」
「そうなの? そっちはずっと招待されてるんだ?」
「ああ、そうだ。イギリスから帰った途端だ。いったいどこから聞きつけたのか、ひっきりなしだ。私は家で音楽を聴き、ゆったりと過ごしたかった」
 普段はイギリスに住んでいるらしい彼は、きっとやんごとなき家柄、というやつだろう。だから話し方に違和感があるし、若いのに自分のことを私、と言うのだ。
「まだ学校の課題さえできない状態だ」
「私もまだ、課題やってないよ?」
 千野の言葉に彼が反応したようにこちらを見る。
「そうか。だったら仲間だな」
「そうね。面倒だし、勉強嫌いだけど」
 彼は眉を寄せて身体を起き上がらせた。
「仲間ではないな。私は、勉強が好きだ」
「うわぁ……そういう人いるのね……」
「勉強は楽しい。知らない知識を得るのは、人として必要なことではないのか?」
 真面目に言っているのが分かるから、余計に引く。
 勉強が好きだという人はたくさんいるけれど。正直その部類には千野は入っていない。
「私は好きじゃないから。でも、必要なのはわかるよ。知らないことがあると、暮らしていけないもんね」
 彼は表情を変えていない。でも、なんだか嬉しそうなのが分かった。
「ここまで言葉のラリーを続けたのは、古賀以外の人とは初めてだ」
「そうなの?」
「普段はここまで話さない。勉強は好きだが、あまり興味を持たないんだ」
「何に対しても?」
 言い方は端的だが、意味が分かるので聞き返す。彼はうなずいて、月を見る。
「人の名前さえ、興味がなかったら覚えない。話しかけようとも思わない」
「……え? ちょっと待って、私の名前は?」
 千野の名前さえも覚えていないのかと思って聞くと、彼は首を振った。
「サトウユキノ。あなたの名は覚えた」
「あっそ。よかった」
 ホッとしている自分もなんだか変だ。いったいどうして、ここにいるのだろう、と改めて考える。
 人形のようにキレイな男の子の、この雰囲気に惹かれているのかもしれない。
「どう書くんだ?」
「私の名前?」
 主語がない彼の言葉に少しずつ慣れてきている。彼がうなずいたので答えた。
「佐藤は、普通の佐藤よ。ユキノは、数字の千に野原の野。それで千野」
 彼は千野を見て瞬きした。また嬉しそうな顔をしているのが何となくわかる。
「私と同じ字が使ってある。私の名前は千に寿、それから日にちの日を書いて、チヅカ」
 空で漢字を思い浮かべる。響きもそうだが、名前がキレイだ。
「キレイな名前。由来はあるの?」
「幸せな長い生を生きて欲しい。日の当たる場所で」
 きっと、彼の両親は優しい人なのだろう。響きもその意味も、きちんと考えて彼の名をつけたに違いない。そう思うと千寿日と言う彼の、言葉遣いが独特でも嫌な感じがしないのが分かる。
 生まれたときも、キレイな子だったに違いない。光を感じる名前だからだ。
「あなたの名の由来はなんだ?」
「私? ああ、千の野を駆け巡るほど元気に育て、よ。千の野なんて、あるわけないのに」
「要するに元気に生きて欲しいのだろう? 私と似ている」
 一字だけ一緒だが、響きもその高貴そうな漢字の使い方もまるで違う。似たところなんてほぼないのに、ちょっと彼が嬉しそうなのが不思議だ。
「元気に生きているのが一番幸せだ。世界に一人取り残されるより、ましだろう」
 口元にほんの少しだけ笑みを浮かべた彼は、そうして目を伏せた。
「もう、こんな時間だ。どうりで月が高い」
 いったい今は何時なんだろう、と彼が見ている腕時計を見る。その時計は若いというのに、有名な高級時計。クラウンマークがついているそれに、面食らった。
 この場所にはセレブが集まっているのだから、当たり前だとしても、時間には少々驚いた。
「あと三分で、零時? こんな形で誕生日の日になるって思わなかった」
 まだたぶんパーティーは終わっていない。若い人たちが多かったから、遅くまで続いているのだろう。
 自分が眠くないのにも驚きだが、隣にいる彼と長い時間話していたことに気づく。
「あと少しで誕生日なのか?」
「うん。明日は家族が祝ってくれると思う。ケーキ用意するって言ってた」
「そうか。幸せだな」
 ただ短く言ったそれに何となく引っかかるけれど、彼が時計を眺めているそれを見ると、思いはどこかへ行ってしまった。
 あと数秒で零時、というところで彼と目が合う。
「日付が変わった。誕生日おめでとう、千野」
 このキレイな千寿日と言う彼に、おめでとうと言ってもらうのが特別な気がした。今までどんな人からおめでとう、と言われるよりも嬉しいと思っている自分がいる。
 両親よりも、親友の結子からよりも。
 千寿日から言われるおめでとう、が嬉しい。
「ありがと……」
 心臓が苦しく音を立てている。いつの間にか息が詰まっていて、それを小さく吐き出すと、彼が顔を近づけてきた。
 ゆっくりと重なる唇は、ただ触れるだけのキスだったけれど、すごくドキドキした。
「びっくり、初対面なのに、キスって」
「したかったからした。何がいけないんだ」
 目を瞬きして、確かにそうだと思う。彼がキスをするのはわかっていたはずだ。それを受け入れたのも千野なのだから、いけなくはない。
「そうだね」
「そうだ。お前は変なことを言う」
 そっちこそ、と思って眉を寄せると彼はもう一度キスをしてきた。
 今度は啄むようなキスをして、千野の肩を抱き寄せた。もう一方の手を腰に回して、さらにキスを深めてくるのに応えた。
 唇の隙間から彼はゆっくりと舌を入れてくる。年下だと思う彼が、キスに慣れているのだと分かって、驚く。それと同時に、誰と経験したんだろう、とわずかに胸がチリチリするのを感じた。
 彼の胸に手を置き、ネクタイと襟をつかむ。
「あ……っ」
 変な声が出てしまう。こんなの初めてで、少し怖くなって彼の背に手を回した。
 濡れた音を立てて、ゆっくりと唇が離れていく。息が上がっている自分が信じられない。
 何より、初めて会って、少し話しただけの相手とこんなことをするなんて、と何度も思う。
「千野?」
 彼と距離を取る。そして改めて見ると、月明りのせいか、神秘的に美しいと思った。
 この高貴そうな千寿日と言う人は、普通なら千野と接点なんて持たないだろう人物だろう。
 彼が着ているスーツの手触りは、父親のそれと違って高級なものだと分かった。少しだけ触れた髪の柔らかさとサラリとした感触は、手入れが行き届いていて千野の髪と全く違う。
 よく見れば指の先もキレイで、こちらもまた、手入れが行き届いているのが暗がりでも分かった。
「連れの子が、心配するから……行かないと」
「……そうか……なら、行ったらいい」
 彼の言葉にうなずいて立ち上がる。情けないことに、足元がふらついた。
 キスは初めてじゃない。周りの子たちが高校生の時、初めての経験をするのに煽られ、処女でいるのが恥ずかしくなった。結子でさえ、彼と経験をしているのを知って余計に、みじめな気分になった。
 だから高校の卒業式の日に同級生と初体験を済ませた。それでも遅い方だと思っていたけど、大学に入ってそうではないことに気づく。
 ものすごい罪悪感を自分自身に向けた。好きでもない人と何をやったんだろう、と。
 このキレイな彼とキスをした行為が、自分の心に沿ったもので嬉しかったのに、手の届かない人だと分かった途端に、どうしようもなく自分が分からなくなってしまった。
 こんなこと、するんじゃなかった、と思ったのだ。
 彼に背を向けて、出入り口のドアまで歩く。扉を開けるまであと数歩、と言うところで向こう側からドアが開いた。
 目の前には、整った顔をした別の男の人が立っていた。この人もまた、どこか雰囲気的に若いのではないかと思う。
 その彼が、千野を一瞥し、眉を寄せたあと、彼を呼んだ。
「千寿日様、帰りますよ」
 静かに低い声で言う彼は、千野のために道を開ける。出て行けということかもしれない。
 横から通り抜けた千野の背に、彼の声が聞こえた。
「千野」
 名を呼ばれたけれど、足は止めなかった。
 これは、思い出で、キスをしただけ。
 あんなにキレイな男の子とやれて、ラッキー。
 そう思うことにして、元のパーティー会場に足を向ける。
 元いた場所に戻ると、結子は心配そうな顔をして、次に泣きそうな顔になる。
「もう! どこ行ってたの! 探したよ!」
「ごめんね……ちょっと、人に酔っちゃって。早く帰りたい」
「うん、帰ろう? こっちこそごめんね、一人にしちゃったから」
 結子は千野の意思をくんだらしく、さっさと帰り支度をしてパーティー会場を後にした。
 屋敷の出口には数台、タクシーが停めてあった。少し高級そうなそのタクシーに乗り込む結子に続き、千野も乗った。
「どこ行ってたの?」
 同じことをまた聞かれたので、千野は笑みを浮かべて答えた。
「クラゲの水槽があるところ。すごく落ち着く場所だった」
「そんなところあったんだ? 本当に心配した。途中楽しくなって放ったらかしにしてたから。もう二度としないから。ごめんね、千野」
「ううん、いいよ。大丈夫」
 安心させるように笑みを向けると、結子もまた微笑んだ。
「もう誕生日になったね。誕生日おめでとう、千野」
 とても嬉しいはずの言葉なのに、彼から言われた方が嬉しかった。
「ありがとう、結子」
 笑顔でそう言っても、気分が晴れなかった。
 あれだけ嬉しい言葉をかけられた、千寿日のことがもうすでに忘れられない。
 肩を抱き寄せられたあの温もりや、唇の柔らかさが身体に残っている。
 もう絶対会うことはないだろう、美しい人形のような彼の顔を思い浮かべるのだった。

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【2017/02/13 06:00】 | serendipitous love | トラックバック(0) | コメント(4)

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