sweet words of love.
こちらは美珠が書く、恋愛小説ブログサイトです

Uniform:14

 父はかなりムッとした。母ももちろん、呆れたため息をついた。

「私の事だから。もう、成人しているし、私が決めたい」

「花娃、本当に言っているのか?」

 父がため息交じりにそう言った。

 サッサと結婚して、家庭に入れば、何も問題ないと思っていた。大学へは行ったけれど、何も得るものはなく、ただ行っただけのようなそれは、ずっと何をしているんだろう、と思った。だから、もうこれは結婚しかないかもしれない。逃げることになるかもしれないけど、これが良いのだろう、そう思っていた。

 けれど、ある人と会って、そして自分の人生が変わった。自分でも勝手をしているだろうとは思う。経済援助を打ち切られても当たり前だったかもしれない、と今は思う。けれど、一度見た自分の将来のビジョンを、諦めるなと何度も言われて、立ち上がったと思う。

「私は、今の努力を続けたい。……そして、篠宮さんと生きて行きたい」

 馬鹿なことを、と思う。もうすぐ二十三歳。院生として学校に通う身で、四つ年上の彼と結婚してどうなるのか、と思う。だけど、初めて会った時から、篠宮理人は光ある人だった。自分とは何て違うのだろう、と思うくらいだった。そんな人が花娃を好きになってくれた。いつも信じていると言い続けてくれる。

 両親よりも花娃を信じている、と思う。優秀で、そして周りからの信頼も厚い彼なら、花娃も生きる道を預けては良いのでは、と思わせる。

 父はさらにため息をついた。母は父の顔を見る。

「好きにしなさい。確かに成人しているし、自分の人生を決めることはある程度できるだろう。聖アンティエの創始者の息子という点では心配などしない。ある程度は賛成できるが、出来ない部分もあることは承知しなさい。花娃も、篠宮さんも」

 そう言って立ち上がって、父は花娃を見た。

「花嫁姿は見せてくれるのか?」

 父の言うことに花娃は首を振った。本当に親不幸で、馬鹿な娘だと思う。どうして首を振ったのだろう、とも思った。それくらい別にいいではないか、と。

「私、きちんと達成できたら、きちんと式を上げると思う」

 それについて、やや怒ったような顔を向ける。母は花娃からあからさまに目を反らした。

 自分勝手な娘、花娃が思うよりも、両親がきっとそう思っている。

 両親が立ち上がって、失礼します、と篠宮家の客室を出た時、花娃は立ち上がりもしなかった。理人が立ち上がって、見送りに立ったのを見て、苦しいため息をついた。

「あなたのご両親は厳しい方のようだね。でも、意外とすんなり了承してくれた。全ては許せないと言っても、それでも許す部分があるということは、君の事を思っているからだと、私は思うよ」

 理人の父理臣がそう言って花娃を見る。花娃は少しだけ微笑んで理臣を見た。

「私は嫌いだわ。花娃の事をもっと理解しているのなら、言葉ももう少し優しいでしょうに」

 相良がそう言って腕を組んで、背をソファーに乱暴に預ける。

「不器用な親なのだよ、野絵留。本来なら娘の花嫁姿を見せて欲しいところも、彼らは我慢したのだから。でも、本当に達成するまで式は上げないつもりかな? 理人との結婚も先延ばし?」

 にこりと笑った理臣に、花娃はまた微笑んで、顔を俯けた。

「父さん、それは二人で話し合うから」

 客室へ戻ってきた理人がそう言って、花娃を見る。

「そうだよね、花娃さん?」

 にこりと笑った理人に、花娃は頷いて見せた。

 

 

 籍は入れてくれるの? と聞かれて頷いた。籍を入れるということは、結婚と一緒。婚姻届を出すということ。それに頷いたけれど、本当に良いのか、と花娃は思った。

 思ったけれど、今この時の気持ちを逃すのも、どこか間違いのような気がした。

 どうして花娃がいいのか、どうして花娃が欲しいのか。そのたびに応えてくれる理人。自分が出来ないかもしれないと思っていることを、いつも信じていると言う理人。

 どうして本当にそこまで言ってくれるのか、どうして花娃を信じてくれるのか。信じていれば望みはきっと叶う、と理人は語って、花娃の唇にキスをした。

「信じきれなくなったら、そのたびに信じてると言い続ける。夫婦は運命共同体だから、どちらか一方でもその信じ切れる強さがあったら、望みはきっと叶うよ」

 僕にはその強さがあるから、と理人は笑みを向ける。

 綺麗な形の目に眼鏡というレンズを着けてもその青さは綺麗だった。澄んでいるようだった。どうやったら理人のような人になれるのか、と思う。冷静で前向きで、きっとこの人は動じたことなどないのではないか、と思う。花娃と初めて会った時も、躊躇もなにもなく自分の考えを口にした。そして、花娃を立ち上がらせた。

 こんな人が、本当に自分のパートナーになるのだと思うと、気が引ける。

「気が引けます。篠宮さんと私だったら、レベルが違う気がする」

「レベルって? 一緒だと思うよ?」

 どこが、と思うと理人は笑みを向けた。

「きちんと努力をする、前向きな姿勢。もし君がそんな人じゃなかったら、僕はきっと出会わなかったし、素通りする他人だった。人は引き合うんだよ花娃さん」

 引力ってあるから、と言う理人に、本当にこの人は前向きだ、と思う。

 きっと大丈夫、と思った。花娃の心も理人の事を求めているし、何より理人が花娃を求めてくれる。そして勇気づけてくれて、花娃を見てくれる。

 用意周到な婚姻届は、父の正臣が用意したのだと言った。本当なのか、と問いただしたら、もちろん、と肩を竦めた。目の前に置かれたボールペン。篠宮理人という文字。

 これを書いて判を押して、役所に出せば、花娃は理人の妻になる。

 本当に良いのか、とまた不安になる。けれど、一つ深呼吸をしてペンを取った。

 そうして名前を書いて、判を押した。ドキドキして苦しいくらいの緊張。これで自分の人生が決められたようなものだ、と思いながら理人を見ると、身体をいきなり持ち上げられた。

「わぁっ!」

 我ながら可愛くない声。だってそのくらい驚いた。持ち上げられて身体をそのまま回転させられる。そうして驚いたまま、抱きしめられて。

「君は僕のものだ」

 嬉しそうな声でそう言うのを聞いて、花娃は抱きしめるそれに苦しさを覚えた。

 こんなに嬉しい声で、あの理人が言うのなら、と。

 花娃は、胸の中に詰まる何かに苦しさを覚えながら、理人の背に手を回した。

 

 

 その日のうちに役所に婚姻届を提出をしたのは理人の父だった。これでまとまらなかったら困るから、とさっさと出しに行った。理人はそれに対してありがとう、と口にしただけで、すぐに花娃を部屋へ連れて行って、息もつかせないほどのキスをした。その後はもちろん体中を触られて、キスをされて、久しぶりに理人を受け入れて。

 翌日、かなり体力がそがれていたけれど、学校に用事があるので、制服を着て聖アンティエへ向かった。もちろん、理人の家から。理人は花娃が出て行く時、まだベッドにいたのに、花娃が用事を済ませると、聖アンティエの制服を着て、大学院にいた。

 久しぶりに見た理人の制服姿。もう少しで、制服は着なくなる、という。きっちり着た制服は、昨日の事など何も思い出させないほどだった。それくらいストイックに、ネクタイもボタンも締めている。

 眼鏡の奥の青い目がにこりと笑って、花娃を見る。

「用事は終わり?」

「……終わりましたよ。篠宮さんは? 学校に用事?」

「君に用事。学校に行く時、生徒は制服を着用だからね。君が帰ってきたら、意味がない」

「なんですか? それ」

 花娃が笑ってそう言うと、一緒に来て、と言った。学生は講義中。誰も廊下になんかいなくて、理人と二人で歩く。理人の後ろをついて行くと、聖堂の中に入った。誰もいない、と言って花娃を見て笑顔を浮かべる。

 そうして、祭壇の前に行って、向かい合って立つように言われた。まるで、結婚式のようだと思いながら花娃は言った。

「結婚式みたいですね」

「成功するまで結婚式はしないんでしょ?」

「そうですよ」

「だから、誓いを立てて欲しいと思って。僕と、神に」

 理人の手の上にはロザリオがあって、その手と同じ方の手を取られて、ロザリオを二人で握るようにさせられた。

「先に、神に誓う。病める時も健やかなる時も、田村花娃を愛し、敬い、永遠の愛を誓う。君を励まし、君を信じ、ともに人生を歩いて行くことを、田村花娃へ誓う」

 祭壇の前、大きなキリストの十字架の前でそう言われて、花娃は息を詰めた。昨日よりドキドキしている。

「君も誓ってくれる? 花娃さん」

 同じように、と言ったので、花娃も理人の言葉を思い出しながら、言った。

「神様に、誓います。病める時もすこや泣かる時も、篠宮理人を、愛し……敬い、永遠の愛を誓います。……一緒に人生を歩いて行くことを、誓います。不安は残りますが、篠宮理人さんを信じてます」

 不安は残る? と理人は言って苦笑した。

「その不安を失くすことを、田村花娃さんに誓います」

 理人は笑って花娃の頬をその手で包んだ。そうして、制服のポケットから、銀色に光るものを取り出した。

「指輪?」

「悪いけど、適当に買ったから、入るかどうか……ちょうど良かったみたいだ」

 ピッタリはまったそれをみて、ああ、結婚したのか、と少しだけ実感した。書類上の事、しかも式も挙げないそれに、実感は持てなかったけれど。

「僕にもしてくれる?」

 もう一つの指輪を取り出して花娃に手渡した。花娃は、理人の薬指にそれを通して、その様子を見る。理人の指は綺麗ですっとしている。爪の形も綺麗だから、指輪が良く似合う。花娃は少し男爪のような形をしているので、この指が少しだけ羨ましい。

「またイギリスにもどるね」

「そう、ですね」

「また遠距離」

「そう……ですね」

「イギリスに、君に会いに行くのも、これで正当な理由になる」

 結婚をしたからね、と花娃の左手を取って指輪を見た。

「これから、一緒に生きて行くけど、覚悟はよろしいですか?」

「な、なんの、ですか?」

 理人は花娃を見てにこりと笑った。

「君一人しか愛さないし、君一人しか抱かないし、離婚は絶対にしない。だからどうか、僕の情熱を受け止める覚悟を」

 そうして、もちろん、と続けた。

「君の努力を傍で見続ける。自分を信じて、一生努力を惜しまないで。僕も同じだけの努力をして行くから」

 ステンドグラスの光が理人に差して、本当に光を受けているようだった。

「僕の光あれ」

 肩を引き寄せられて、理人が花娃にキスをした。優しいキスは、何度も振ってきて、その合間に好きだ、愛してる、と言われた。

 こんなに言われては、花娃は理人の傍にいるしかない、と思った。

 愛して行くしかない、と。そして努力していかなければならない、と。

 これからどうなるか分からないそれに、花娃は光を見た気がした。

 理人と言う、光あれ、の意味を持った名の、その人から。

 

 

 結婚を明かしたのは、結婚してから二年後の事。その数年後の花娃の達成を一番喜んだのは、夫の理人。

 もちろん結婚後、二人は互いに努力をしながら、喧嘩もしながら、自分の目標へ進み、そして長い人生をともに歩いた。

 制服を着て、神に誓ったあの日から、ずっと。

 

Fin

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【2013/10/05 08:45】 | Uniform | トラックバック(0) | コメント(2)

Uniform:13

 好きだ、と結婚すると言った。言わされたような感じもするが、心の中でどこか納得したようなことだった。半年以上たって会いに来てくれた時、思い返せば嬉しかった。やっとスキップを果たしたとはいえ、心の中にちょっとした悩みもあったから。スキップしたとはいえ、本当にこれでいいのか、これで本当に自分の思う未来に近づいているのか。

 帰ると言った彼を引き止めてそして抱き合って。その悩みを忘れることが出来た。心地よい体温に癒されたと思う。ああ、この人が好きだ、と。けれど次の日に見たゴシップに、自分でも理解できないくらい動揺して。そしてきっと嫉妬しただろう。

 ゴシップを挟んで、次の日に会った時、熱い言葉で口説かれた。努力する姿が綺麗だ、と言われて、それが心に響いた。けれど、認めたらどうなるのか。好きなことを口にしたらどうするのか。自分が怖くて抵抗したけれど、あっさりとその日のうちに、結婚する、好きだ、と言ってしまった。

 言ってしまった翌日、腕に包みこんで離してくれなかった。講義はない日だったので、食事の時もずっとベッド。外国の映画のような、そんなシュチュエーションに自分が置かれるなんて思わなくて。ずっと、ただ何度も抱き合って、初めて異性と入浴した恥ずかしさ。こっちは初めて経験したというのに、彼は本当に慣れた風に、入浴中も余裕で身体に触れてきた。勉強もこれからの事も考えない時。そんな時は半年以上なかった。力を抜け、と言われているように、優しく強く抱かれて睡んで。起きると決まって、目の前の青い目が笑って、優しいキスをした。

 彼が帰る時、空港まで見送った。一度日本へ帰ってきて、両親に会いに行くことを約束して。

『逃げないでね、花娃さん。フライトのチケット送るから』

 そんなことをしなくてもいい、と言ったら彼は首を振った。

 そうして花娃のもとに一通の手紙と、フライトチケット。日付まで指定されたそれに、半ば強引な感じもする。けれど、きっとこうしなければ花娃は日本へ帰らなかった。それは自分でもわかる。いつも揺れる心で、自分でも不安定だと思うから。恋をする暇があるのか、結婚なんてしていいのか。今まで積み上げた努力はどうするのか。彼と一緒になって、勉強をする暇があるのか、彼に学費などで迷惑をかけることになりはしないか。

 悩みは様々で、その中で一番の悩みは両親だった。大学院へ行く時に反対した両親。けれどやっと花娃が本気の努力をしたから認められた。確かにわがままだったと思うし、適当にしていたと思う。そんな花娃だから両親に認めてもらうには、努力しかないと思った。そして努力をした後、今度は結婚する、と言ったら何と言うのか。

 だから両親に会うのが怖かった。何と言われるか分からないし、まだ学生の身の上。

 このままでいいのか、このままこうやって彼に流されてもいいのか。

 花娃の中でせめぎ合うのは、結婚と学生本分、そして勉強。

 年齢は若いのに、しっかりした目標と考えを持つ彼と、今の花娃とでは明らかにレベルが違うように思えた。だからこそ、花娃はどうして彼に恋をされたのか分からなかった。好きだという唇も、花娃を見る青い目も、全てにおいて完璧のように整っている人。

 もちろんその頭脳も、花娃はしっかり負けていた。

 そして、精神年齢もきっと、花娃よりはるかに先を行っている。多分、人生を預けても、大丈夫なのではないかと思うほどに。

 

 

 あと二日で春休みに入る。講義がない日も花娃は大学院へ向かった。そしてそこで勉強をする。次もスキップを果さないと、修士号が遠くなる。今はイギリスの学士を取得したばかり。あと一年で出来れば修士号まで取って帰りたいと思う。そうして、人文科学の博士号を日本で取りたかった。

 道のりは長いけど、あっという間かもしれない。二十代でどうにか、博士号を取りたいと思うのだ。

 けれど思いと心は別物のようで、いまいち集中できない。講義がない日も花娃は大学院へ通っているのに、勉強に集中できないのは、きっとこれから変わる環境のせいだろうと思う。花娃はため息をついてペンを置いた。そして、テキストも一度閉じて、ノートも閉じる。髪の毛を触ると、伸びたそれがうっとうしく感じた。

『髪が伸びたね。久しぶりに見た時、ずいぶん印象が違って少し驚いた』

 ベッドの中で、耳元でそう言われて髪の毛を梳く彼に、短い時の方が好きかと聞くと、首を振った。どちらも似合っていて、好きだ、と。

「ああ、もう」

 はぁっ、とため息を大きくついて、集中できない自分が嫌になる。この制服のせいだ、と勝手に制服のせいにしてしまうのは、この前これを脱がされたから。彼との情事が終わって散らばる制服を見た時、どこかその雰囲気にドキドキした。脱がされたその様子を思い出して、こんなことは今までなかった、と思う。初めてした時も、制服だったというのに、その時の印象は薄くなるほどだった。

「どうしたら忘れるんだろう。勉強できないよ」

 机に突っ伏して、何度もため息をつくと、人の気配を感じて顔を上げる。花娃が座る場所は学院の図書館でも少し遠い場所。あまり人も来ないような離れ小島のようなところだ。だからほとんどと言っていいほど、隣に誰かが座ることはなかった。珍しい、と思いながら顔を上げると、聡明そうな顔をした多分老人だった。髪の毛は白と茶色が混じっていて、けれどその顔立ちと雰囲気が合っていた。多分老人と称したのは、髪の毛の色がそうだったから。顔は若く見えて、けれど生粋のイギリス人というわけではないようで。

「こんにちは。お隣は空いていますか?」

「はい、どうぞ」

「ありがとう」

 その人は、にこりと笑って帽子をとった。帽子の影で分からなかったが、目がやや薄い青色をしている。見たことがある人だと思ったが、こんな人に会ったらきっと印象に残るに違いない、と花娃は思った。

「あなた、田村花娃さん?」

「……はい」

 何故名前を知っているのか、と思いながら首を傾げて多分老人であるだろう、その人を見る。

「初めまして。私は篠宮理臣、理人の父です」

 花娃は何度か瞬きをした。見たことがある、と思ったのは面差しだった。理人に少し似ているのだ、この人は。

 花娃は慌てて頭を下げた。自分は遅くに出来た子供だから、と言っていた。そして、こうも言ったのだ。

『父はもう老人の域で、七十七歳にもなるけど、若く見える』

 どんな人なのか、とベッドの中で聞いた時に教えてくれた。

「初めまして、田村、花娃、です」

 思わずしどろもどろになってしまったそれに理人の父、理臣は笑みを浮かべた。

「かしこまらなくて結構です。理人も、こうやって会っているのは知らないのでね。ずっと気になっていたんですよ。賢いあの子が選んだ人はどんな人だろう、って。身体のお友達だった鶏ガラさんとは違って、可愛くて豊かな子だ」

 はは、と笑った理臣は花娃の身体を上から下まで見た。そこで気付いたのは、スタイルの事だということ。花娃は思わず椅子を引いて、少し距離を置いた。

「鶏ガラ?」

「そう、理人の身体だけのお友達。いや、一応彼女だったかな……三年くらい付き合っていたけど、君と出会ってから別れてしまった。そう、多分、君と出会ってからだったと思いますよ。とても痩せている子でね、どこがいいのかと聞いたら優しくて良い子だと。でも、君みたいに家に連れてくることは一切なかったかな」

 また笑みを浮かべて少し声を出して笑って花娃を見る。

「結婚したいから、会って欲しい。……三年も付き合った鶏ガラさんは一度も家に連れて来なくて、その存在もどこか感じないくらいの付き合いだったのに、あなたとは頻回なメールと電話。神学科の交流にかこつけて、あなたに会いに来たでしょう? 私はアナベラ・オルシーニと会うように言っただけなのに。それもさっさと済ませて、挙句には理人の事を思っていた彼女を振る始末でした」

 アナベラ・オルシーニ。理人に抱きついて、そして泣いて帰った人。

 確かにきっぱり断った様な事を言っていた。

「私は、アナベラと結ばれることを望んでいました。彼女は敬虔なカトリック信者で、兄とその従兄はカトリックの司教です。華やかな職に就くこともあるけれど、真面目で貞潔な人でした。多少神を冒涜するようなリアリズムもあるが、息子は神学を極めたカトリック信者です。カトリックはカトリック同士で。そう望んでいました」

「……そう、ですか。それで、なんでしょう……私とは反対ということを言っているのでしょうか?」

 キリスト教徒はキリスト教徒同士で、というのは聞いたことがある。そうした方が幸せになれる、と。よく分からないな、と思うくらい、曖昧な根拠。

「いや別に。反対なんかしていませんよ。大切な息子が好きな女性と結婚するなら、私は喜んで祝福します。二度目の結婚で、遅くに出来た理人は本当に良い子で、優秀な子。アナベラも良い大学を出ている優秀な人でして。ボランティアにも積極的で、素晴らしい人だと思った。息子は理知的な人が好みだと思っていたから、大学院へ通う何も持っていないあなたへの情熱は、すぐに冷めると思ってました。けれど、違っていましたね」

 肩を竦めて笑う理臣を見て、どこをどう見ても理人と花娃の仲を良いようには思っていない様子だった。

「どう考えても、反対、と言っているようにしか聞こえません。……もし、反対なのなら、それでもいいですけど」

 理人の父が反対するなら、それでも良かった。そうしたら理人は花娃の事を諦めるだろうか、と思いながらそれはないかもしれない、と勝手に思う。自惚れのように思う自分もどこか嫌だが、本当にそう思うから。

 反対なら反対で、いっそ自分の気持ちにケリがつく。こうやって悩む自分とはさよならが出来る。そして、勉強の事だけを考えていれば、いいから。

「どうしてそれでもいい、と? 田村さん、あなたは理人を好きではなない?」

「私は、勉強をしにイギリスまで来ているんです。きっかけは篠宮さんだったけれど、それとこれは別です。私には極めたい学問と研究もあります。優秀な篠宮さんには届かないかもしれないけど、私は出来る限りの事はしたいですから。結婚する、と言ったことは認めますが、結婚によってそれが妨げられることも考えられるので、別に反対をするのなら、しなくてもいいです。相良教授のように、オールドミスを目指しますから」

 ここは図書館。なのに、理臣は少し大きな声で笑って見せた。きっと静かに、と言われるようなそんな声だった。

「ここが図書館じゃなかったら大笑いですよ、田村さん。いや、理人が言った通りだ。今、結婚しなかったらきっと彼女はオールドミス決定、と言っていたよ。それに、頑固で勉強ばかりしていて、理人の事なんか見ていない? 理人はやや直情的なところもあるから、無理やり振り向かせた、というのもあながち間違いじゃないかな?」

 無理やり振り向かせた。

 その言葉に花娃は顔が熱くなる。目を反らして、息を詰めて、ベッドから出なかった一日を思い出した。結婚するというまで身体を高められて。高められた身体が苦しくなるくらい、理人から苛まれるように抱かれた日。

「先程も言った通り、私は息子が幸せになるのなら、喜んで結婚しろ、と言いますから。遅くに出来た子供で、私は理人が成人するまで生きられるだろうか、といつも思っていた。でも、生きてきて、成人した息子を見ることが出来たのは、本当に幸運でした。なのに、今度は理人が結婚するという。その姿まで見れるなんて、感動することこの上なし。素晴らしい。本当に素晴らしい」

 いつだったか、相良野絵留が言っていた。理人の家系は情熱で出来ている。確かにそのようだ、と思いながら花娃は理臣を見た。

「ご両親が心配だとか。大丈夫です。今は私と、理人の姉の杏朱が表向きの経営者ですが、本当は理人が経営していると言っても過言ではない。学生結婚になるでしょうが、私がその辺は説得しても良い。理人の優秀さも、武器になる。あとはあなた次第ですね。……結婚する意志があるのなら、障害は一つしかない。まぁ、これも別に無視しても構わないが」

 花娃次第、と言われてさらに椅子を引く。ここまで言われて、うん、と言わないわけにはいかないような、そんな感じだった。理人の父、と言うだけあって、押しが強いような気がする。

「結婚、します? 理人と。ああ、もちろん、理人にここにきているのは内緒ですから、この場で話したことも内緒ですよ?」

 にこりと笑ったそれに、花娃は多分頷いた。そうしたら、身体を引き寄せられて、抱きしめられる。そうして背中をポンポンと叩いて、満面の笑顔を花娃に見せた。ああ、ハグか、と思ったのは腕を離されてからだった。

 なんかもう、逃げられないような、そんな感じになりつつあるのを感じて、花娃はこれからの事が頭をめぐった。パンクしそうなくらい。

「あなたが日本へ帰って来るのが楽しみです」

 そう言って立ち上がって行ってしまう。

 言いたいことだけ言われたようなそれに、花娃はまた大きなため息をつく。

「篠宮さんのお父さん、似てる」

 あと二日で春休み。理人は空港まで迎えに行くと言った。両親には、まだ理人の事は話していないけれど。

 もし、理人の父が花娃の実家まで来るのなら、と思った。

「早く話さないと……っていうか、なんか……」

 花娃はまだやるべきことがあるし、恋には力を入れられないけれど、と思いながらもそれに引きずられるような、そんな人生に変わってきている。それもきっと、理人に出会ったから。

 理人に出会ってなかったら、ここまで自分の人生は変わらなかった、と花娃は思う。

「電話、しなきゃ……」

 花娃はテキストをバッグに入れた。

 気は進まないが両親に電話をしないと、大変なことになりそうだ、となんとなく予感した。

 

 

 二日後、日本に帰って、久しぶりに日本の空気を吸った。

 別段変りはしないようだが、周りは日本語を話している。それにホッとした。

 理人は電話で、到着口で待っていると言った。そこへ向かって行く時、あの青い目を思い出して、そして花娃の名を呼ぶ声を思い出す。

 両親に電話をした時、かなり驚いて怒っていた。それは当たり前の反応で、花娃は電話だからさっさと切ったけれど。

『そっちに出て行くから、相手に言っておきなさい』

 場所は聖アンティエの門の前。そこで両親は、今日たぶん待っているはず。

 見慣れた長身が立っているのを見て、花娃は大きなスーツケースを引きずって、そこへ向かう。

 気付いた青い目が花娃を捉えた。

「篠宮さん、なんか、笑顔だけで……そんなに素敵なのに、何も持ってない私でいいわけ?」

 本当に普通の、何も持っていない花娃。

『息子は理知的な人が好みだと思っていたから、大学院へ通う何も持っていないあなたへの情熱は、すぐに冷めると思ってました』

 本当に普通だから、理人のような人が花娃に飽きないはずがない。

 おまけに、花娃は自分でも思うが、可愛くない性格をしているし。今は勉強優先。きっと、結婚しても理人には応えられないことが多いはずだ。身体の関係にしても、優しい言葉をかけられても、きっとそっけないと思う。

 理人に近づくにつれて、自分の恰好を省みたりして。髪の毛を整えたり。

 ああ、こんなバカなこと、今までやったことがないのに、と思いながら、理人に近付いて行く。

 周りはどう思うだろうか。理人が待っている相手である花娃をみて。

「久しぶり、花娃さん。会いたかった」

 花娃の右手はスーツケースに残したまま。左手はトートバッグを提げたまま。

 理人は花娃の身体を抱きしめた。

 周りはどう思うだろう、そう思ってその胸を押し退けたいけど、両手はあいにくふさがったままだった。

 長い両手が花娃を解放して、そして花娃の右手からスーツケースを優しく奪う。

 にこりと笑った青い目。

「篠宮さん、どうして私と結婚したいの? もっと美人で、素直な子、いるよ? 頭の良い子もたくさん。何も達成していない学生のどこがいいの?」

 理人は何かを達成している人。リヒャルト・セリンガムは日本でも有名な文学博士。だからこそ、いろんな人を知っているだろう。花娃が世話になった市橋夫妻も、理人の知り合いだったという。そんな、優秀な人と知り合う機会はたくさんあるのに。

「君みたいに可愛くないことを言う子、僕しか引き取り手ないよ、花娃さん」

 普通に、花娃の癇に障ることを言ったので、花娃は理人の右腕を軽く叩いた。

「なにそれ」

「もっと美人で素直な子? いると思うけど、その中身は? 頭が良い子、どれくらい良いの? 何も達成していない、って、まだ学生なのに当たり前。君は、努力するでしょ? 達成した後もきっと君は努力を惜しまない。僕には分かるよ」

 言いきるのはどうして、といつも思う。

「そんなの分からない」

「そうだね、わからない。でも、きっとそうなると思う」

「分からないよ」

 花娃が言うと、理人は足を止めて花娃を見る。

「分からないのは君。どうして自分を下に下げる? 努力をすると言ったのは、嘘?」

 嘘なんかつかない。花娃は首を振った。

「達成したいよ、ちゃんと。やることがあるから」

「では、努力を」

 理人はにこりと笑った。同じ言葉を何度言われただろう。

「少なくとも、僕は努力してる」

 どんな努力だ、と思う。理人は努力をしなくても、なんでも達成できそうなのに。

「君を振り向かせる努力と、結婚する努力。あとは、君の悩んだ心を慰める努力と、可愛くないことを言う唇を行かに奪うか、という努力。車に乗ったら、キスしていい?」

「……篠宮さん、変な人。私みたいな子、誰も欲しいなんて思わない」

「それは良かった。他に男が出てきたら、もっと努力が増えるところだから」

 この人は本当に思ってくれているのだと、思っていいのか。

 でも、どうして。理知的でもない、頑固な花娃を。

「好きだよ、花娃さん」

 臆面もなくそう言う理人に、花娃は息を吸って、ありがとう、と小さく言った。

「お礼は唇で」

 こういうところは、やっぱり外国人だ。

 そう思いながら、理人の停車している車に乗って、そして頬を引き寄せられる。

 最初から深いキスをする理人に、小さく声を出して。

 久しぶりの感触と体温に、どこか安心したのは花娃だった。

 やることがたくさんあるのに、と思いながらも、今はこの恋に引きずられたかった。

【2013/10/05 08:42】 | Uniform | トラックバック(0) | コメント(0)

Uniform:12

 体重をかけてきた身体に抵抗をすると、花娃の手の上で、パンッ、と乾いた音がして、手が痛くなった。抵抗していた手が、理人の頬に強く当たってしまったからだった。

「あ……、ご、ごめんなさい」

 宙に浮いていた手を取られて、もう一方の手も一纏めにされて、ベッドに縫いつけられる。片手でそうされているのに、一向に拘束が外れなくて、見上げると、理人の頬に一筋の傷が入っていた。それを見て、抵抗を止めると、理人は花娃を見て一度手を止めた。

「抵抗は終わり?」

「……やだ、離して下さい。こんなの違う」

 理人の身体の下で乱された制服。黒と白のいかにも禁欲的な制服が、今はその意味を失くしていた。

「何が?」

「こんなの、合意じゃないですよ。お願い、離して」

「君が本当に合意で抱かれたこと、あるかな?」

 理人がいつもの笑顔を消してそう言って、花娃の手を外した。拘束が緩んだ手が、少しだけ痛かった。体重をかけていた身体が少しだけ軽くなる。花娃のブラウスの中にある手も離れた。

「いつも、合意です」

「嘘をついて。いつも勉強と恋愛を天秤にかけているくせに」

 理人が上から退いて、花娃を見る。

「だって、勉強しろって言ったの、篠宮さんでしょ!」

「そんな君に惹かれたんだ。いつも努力して、いつも悩みながらも前を見ようとするそれに。なのに、君は、いつも勉強の方にウェイトを置く。どうしてこっちを見ない?」

「見てます!」

「見てないね。もう、いい、わかった」

 青い目が瞬きをして、花娃のリボンタイを胸の上に投げるようにして置いた。

「勉強や研究にかまけて、オールドミスにでもなればいい。野絵留のように」

 その言い方に、普通に腹が立った。聖アンティエに誘ったのは理人。そして学者を目指す自分を見つけ出せたのは、理人のおかげでもあると思う。なのに、勉強をして努力すると決めたのに、理人は花娃が好きだと言ってきて。惹かれているし、ちゃんと合意で抱かれている。

 好きでなければ、抱かれないのに。

「ムカつく! 篠宮理人!」

 枕を投げつけると、その横顔に当たった。枕を受け止める理人をみて、もう一つの枕を手にとって、そのまま理人の身体を叩く。

「ちょっと、待って! 待って花娃さん、ストップ! 痛い、目、コンタクト!」

「え?」

 理人が左目を押さえて顔を顰める。目を横に引きのばして、瞬きをして手の上に小さいレンズが落ちてきた。何度も瞬きをするそれを見ると、本当に痛いのだと分かる。

「乱暴者」

「……どっちが? 篠宮さんだって、私の事ベッドに落とした!」

「平手で頬を張って、枕投げといて。どこが乱暴者じゃないと言える? こんなことされたの初めてだ」

 花娃を見て、少しだけ怒りの表情を浮かべる理人は、反対の目のコンタクトも外して、近くにあるテーブルに置いた。その上に置いてあった眼鏡を取って、それを身に着けて。花娃を見てから、ため息をつく。

「そんなに僕が嫌い?」

 言われて、すぐに首を振れなかった。理人の目を見て、そんなことないと、言えばいいのに、噛みしめた唇から言葉が出ない。

「嫌いな男に、なんで抱かれるわけ? 昨夜だって、どうして引きとめた? 君は勉強と研究さえあれば、それで満足? ここに至るまでの経緯は僕が作った。そんな対象として、見てなかったよ、最初は。君は、聖アンティエで実績を残して、院の卒業生として活躍するだろう、そう思っていただけだった」

 聖アンティエの実績。上がれば上がるほど、聖アンティエには有利だろう。最初、理人は花娃をそんな目で見ていたのか、と思った。

「まさか本当に努力をして、聖アンティエに入って来るとは思わなくて。それからもずっと努力をし続けて、両親に反対されながらも。そんな人、誰もいなかった。留学も決めて、言葉も文化も違う中でスキップも果たして、夢に一歩ずつ近づく、その努力する姿。何度も言うけど、本当に綺麗だと思う。……惹かれずにはいられない」

 どこが綺麗なのかと思う。何も持ってない、普通の日本人で、顔立ちも目が少しばかり大きいのが特徴なだけ。

 花娃が努力するのは、もう後には引けないから。何でもやってのける理人に嫉妬するけど、それが花娃には魅力的に見える。加えて、素晴らしい容姿。

 こっちだって、惹かれずにはいられない。

 でも、流されたらどうなるのだろう。結婚とか恋愛とか、そういうことをしたら、今までした努力は継続できるのだろうか、と。花娃はそこが不安でならない。こんなに魅力的な人から、何度も好きだと、結婚して欲しいと言われて、全くその気にならない人がいたら教えて欲しい。

「だって……私……」

 涙が出そうになる寸前で、インターホンが鳴った。最初は無視したのだが、何度も鳴るそれに苛立ったのか、吐き捨てるように息を吐いて、寝室から出ていく。そして、遠くから聞こえた、やあ、と言った声で宮前のものだと分かった。

「何の用です?」

 極めて冷静に応えるそれを遠くで聞いて、花娃は服を直した。ブラウスのボタンを止めて、リボンタイを拾ってソファーの近くに置いてあるバッグを手に取った。髪の毛を軽く整えて、一つ息を吐く。

「……怒ってるのか? というか、その傷、どうし……」

 宮前と理人の横をすり抜けて、一歩部屋から出るが、すぐに腕を掴まれて引き戻される。

「や……!」

「逃げないで、花娃さん」

 簡単に理人の腕に閉じ込められて、顔を上げると、宮前が呆れたような顔で笑った。

「何やってんだ? 篠宮君も、田村さんも。痴話喧嘩?」

 宮前の視線を反らして、理人を見上げると、理人は花娃を閉じ込めたまま、違います、と言った。

「この通り、田村さんが強情なので」

「ははっ、確かに。器用じゃないだろうからな、篠宮君と違って」

 声を出して笑ってそう言う宮前の言葉を聞いて、顔が熱くなる。

「その不器用さも可愛いんだろ? 自分が持ってないところに惹かれるのは、しょうがない」

 宮前を見ると、花娃の頭を撫でた。授業中にしたように。

「学生結婚をして、学者として成功する。カッコいい、シナリオだと思うけどね、田村さん。ま、頑張りなさい」

 そう言って、今度は理人を見た。

「君も頑張って、篠宮君」

 そうしてドアを閉められて、花娃は理人から離れようしたけれど、離れられなかった。

 理人を見上げると、ようやく腕の拘束を解いてくれて、花娃は自由になる。強い力とかに、理人が男性であることを感じて、一歩退いた。

「花娃さん、もう一度聞くけど……僕が嫌い? もしそうだったら、はっきり言って」

 そんなわけない。つきとめないで欲しい、と思いながらも、花娃は今度は首を振った。

「怖くないからって言われたって、怖いです。私、両方上手くやれる自信はないし、特に今は目指しているものがあるから。簡単に目指せるものじゃないです。研究とかそういうもので、身を立てる自信は、まだないのに」

「だから、花娃さんだったら出来るって言ってる。君は、考古学者になれるよ」

「なんで言い切るの!?

 理人はいつも花娃が学者になって、身を立てることが出来るといつも言う。その自信はどこから来るのか分からない。

「君は、自分を信じてるでしょ? 絶対になって見せるって。誰が何と言おうと目指すでしょ?」

 だからなんだというのか。理人は花娃を見て笑みを向ける。

「世界中の誰もがあなたには無理と言っても、自分は出来ると信じている。自分自身が出来ないと、思っていたら、目指すものは一つも達成できない。君は、思いの強さが違う。だから、僕は出来ると分かってる」

 顔がクシャリと歪んだのが分かる。涙が流れたのが良く分かる。

「まだ分からないでしょ? どうして篠宮さん、いつもそうなの?」

「だから、信じてるって、言ってるじゃないか。もし信じきれなくなったら、傍で信じてるって言い続けるよ」

 理人が花娃の頬に手を伸ばして、頬に伝う涙を拭って。

 花娃は、理人の肩を叩いた。二度三度叩いて、壁に押し付けてその身体に抱きついて。

「篠宮さん、バカだ。まだ何も出来てないのに」

「それは僕も一緒だと思うけど。……なんか、今日はいろいろ痛いな。こんなこと、初めてだ」

 しかもバカだと言われたと、笑って花娃の身体を引きよせる。

「オールドミスに、なる?」

 耳元でそう言った理人を見て、花娃は言った。

「後悔しますよ。絶対に、します」

「結婚してくれるんだ?」

 口を閉じると、理人は笑った。

「はい、って言ってよ、花娃さん」

 強く身体を引きよせられて、唇を奪われて、理人の背に手を回す。

 恋も、勉強も手に入れて、自分は頑張れるのか、と思いながら。

 

 

 花娃はもう一度ベッドに連れて行かれて、少し抵抗をしたけれど、それも難なく抑えこまれて、制服を剥ぎ取られた。昨夜と同じ、避妊具が入った箱を枕もとに投げて、昨夜よりも早急に、下着も全て剥がされてすぐに裸にされて。花娃が理人の服を脱がせたと言えば、ネクタイだけ。あとは脱がせる手も届かないくらい、花娃の身体は高められた。

「あ……あ……っ」

 胸を触られながら、唇にそこを愛撫されて。そしてその唇が下がって行って、足の付け根にきつくキスをされた。

「まって、しの、みやさん、待って……」

 下を見ると、理人が少しだけ顔を上げた。躊躇いもなく、花娃の足の間に顔を埋めて、そこに感じる柔らかい感触に口を開けて仰け反る。やめて欲しくて、上に身体を逃そうとすると、理人の腕がしっかり花娃の足を掴んだ。苛まれるような、理人からの行為を受けて、声がひっきりなしに漏れる。

 昨日よりも花娃の身体をいいようにされている感が否めない。何より、理人の整った綺麗な顔が、花娃の足の間に埋まっていること自体、心臓が苛まれるような気持ちになる。

「やめて……篠宮、さん……っ」

 お願い、と花娃が言うと、理人は顔を上げた。忙しない息を吐きながら、顔を上げた理人を見ると、その唇を舐めるのが卑猥に見えて、顔を横に向ける。

「花娃さん、結婚してくれるんだよね?」

 ゴムのパッケージを歯で噛み切りながら言ったことに、花娃は頑固にも頷けなくて。理人が花娃の足を開いて、避妊具を着けた自身を圧し当てる。身体が圧されるような感覚とともに、理人が花娃の足の間の隙間を埋めて、閉じていた青い目を開いた。

「昨日より、スムーズに入った。気持ちいい?」

 息を吐いて、そう言った理人の言葉に応えるのは悔しい。

 昨夜よりどこか感じているのを分かって、悔しいことに心が理人に向かっているのを感じて。

「言って、結婚するって」

 そう言って、身体を酷く緩く揺らされて、それがかえって花娃の中の官能を揺さぶる。

「やだ、これ……っ」

「花娃さん、ゆっくり動かすと、ダメだよね? 言ってくれるまでこのままだよ? どうする?」

 一度だけ強く突き上げられて、シーツを掴んだ。

「まだ頑張る? いいよ、君のおかげで耐久性、上がってるし。……半年以上もお預けだったしね」

 理人が笑って、ゆっくりと腰を動かす。そうして、花娃の胸に手を伸ばしてそこに触れて、唇を寄せてそこを食むようにされて。

 堪らない、と思った。

 綺麗な顔をした理人が、花娃の上で感じている。時々、吐息のような声が聞こえて、緩慢に揺らされるからだから伝染する、快感。いつも花娃が積極的に動いたことはなくて、理人が花娃へ施す愛撫を受けるばかり。理人の容姿とそれがどこか似合わない気もするのに、実際にされると心が酷く高まって、苦しくてしょうがない。

「も、だめ……っや。……や、くして」

 根を上げたのは花娃の方。まだ一回目なのに、これだけ高められてどうなるのだろう。理人の事だから、もう一度は花娃の中に自身を埋めて、そして快感を与えるはずだ。なのに、一度目でなし崩しで、あれだけ頑なにしていた自分を否定される。

「だったら言うんだね。結婚します、って」

 ああ、強引だ。そう思いながら、早く動いて欲しくて。耐久性なんて花娃の中では崩れ落ちていた。

「します……っは」

「何を?」

 強く突き上げた時、花娃は一度達してしまった。理人はイってしまった花娃の頬を撫でて、それでも緩く身体を動かすのをやめないから、また高まって行く。

「酷い……っ」

「どっちが? 僕は、待ったよ、花娃」

 は、と息を吐きながらそう言った。そして、言わないとこのままだ、とまた言って。

「す、る……っだから、動いて」

「だから、何を?」

 言わせようとするそれに腹が立って、肩を一度叩くけれど、その手を取られて背に回される。そのまま身体を引き起こされて、余計に花娃の中に埋まった理人が深度を増して進む。

「けっこ、ん、する……だから……っ、動いて……っ!」

 理人の目が花娃と視線を合わせる。早くして欲しいのに、理人は花娃の背を撫でて、笑みを浮かべた。

「すごく、長い道のり……でも、手に入る。君が」

 そうして花娃の要望通りに理人は動いて、花娃の名を呼んだ。それに応えることはできなくて、代わりに理人の身体を引きよせてこれ以上ないくらい密着した。

「好きだよ、花娃さん」

 理人の言葉に、花娃はからだを震えさせて、また達して。

 ベッドにもう一度寝かされて、上から理人が強く腰を揺らした。

 花娃の頭は、理人しか考えられないくらい、一杯になった。抱きしめられるからだの熱さが心地よくて、理人が達したのを見ると、それだけで感じた。

 

 

 最初の予告通り、結婚するというまで抱かれてしまって。というか、一度目であっさり陥落した自分がどこか悔しくて。理人が言う言葉に落とされた気分だった。

 自分が信じていれば世界の誰もが無理だと言っても、やり遂げることが出来る。その言葉が真実かどうかは分からない。けれど、理人のその言葉にいつも引っ張り上げられるのは事実。

 花娃は留学していながらも、自分を信じていなかった。出来ると思いながらもどこか疑っていた。留学もしているのに、自分の夢がかなわなかったらどうしよう、と。ずっと思っていた。

『だから、信じてるって、言ってるじゃないか。もし信じきれなくなったら、傍で信じてるって言い続けるよ』

 ダメだと思った。もう、この手を取るしかないと、この言葉を反芻すると余計に思う。

「何を考えてる?」

 二度、三度と抱かれてだるくてしょうがなくて、花娃は横を向いて脱力していた。理人の足が絡まってきて、長い腕が花娃の身体を抱きしめる。

「別に、何も」

「残念、僕の事って言ってくれたらいいのに」

 考えてましたよ、と心の中で言って顔が少し熱くなる。

「あとは、花娃さんが好きだと言ってくれたらいいな。そして、篠宮、じゃなくて理人って呼んでくれると嬉しいけど」

「……すぐには呼べませんよ」

「でも、結婚するって言った」

 花娃の耳に髪の毛をかけて、頬に手をやってから自分の方へ向ける。

「君も、篠宮になるよ?」

 小さく音を立てて、耳の後ろにキスをされる。

「そ、ですね。もし本当にするなら」

「まだ、そういうことを。嘘は罪だよ、花娃さん」

 瞬きをする青い目。

「どうして篠宮さんの目、青いの?」

 いつもこの目に有無を言えない気がしてならない。

 一番惹かれたのは、きっとこの目だ。

「……遺伝じゃない?」

「そんなこと、分かってます。バカじゃないから」

 顔を反らすと、花娃の身体を強めに抱きしめて。

「花娃さんは、僕の目の色、好きだよね?」

「そんなこと、ないです」

「それは嘘。嘘を重ねると本当に罪になるよ」

「説教は聞きたくないです」

 逃れようとしても強く抱きしめているので逃れられない。

「君が、いつもじっと見るの、僕の目だから。隠しても分かる」

 耳元で微かに笑うそれを聞いて、くすぐったさを感じる。

「黒い髪の毛に、青い目で生まれて、いいことはあまりなかったけど。花娃さんが気に入ってくれるなら、この目で生まれてきてよかったな」

 首筋に唇を感じて、そこに顔を埋められて。

「もう一度していい?」

 理人の抱きしめている手が、下の方へと滑って行くのを感じて。足の辺りに、理人の熱くなる身体も感じた。

「明日は授業ないでしょ?」

 甘くそう言われて、花娃は瞬きをして息を吐いた。

 なんで知ってるんだろう、と思いながら足の間に伸びる大きな手を感じて。

「……ぁ」

 小さく声を出すと、その手はもっと大胆に動いた。

 甘く苛まれる身体。

「好きだ」

 その声に応えたくなったのは自然なこと。

「私も」

 理人の青い目を見て、その目蓋に触れる。

 そうすると、理人が笑みを浮かべて、花娃の隙間を埋めていく。

 これからどうなるのか分からないが、宮前の言った意味が少しだけ分かった気がした。

 愛し合うのは幸福だ、と。

 

 

【2013/10/05 08:40】 | Uniform | トラックバック(0) | コメント(0)

Uniform:11

 聖カティアの大学院での、聖アンティエからの留学者に義務付けられているのは制服着用。聖カティアも制服があるので、それと見分けるためだというが、どちらでも一緒だと花娃は思っていた。

 午後からの授業に出るために制服を着て、コートを着て、家を出た。バスを乗り継いで、聖カティアについて、学生証を見せて、ようやく聖カティアの敷地内へ入ることが出来る。治安の関係でセキュリティが厳しいのはしょうがないが、日本では考えられないこと。適当に入れる学校と言う場所が、ここに来て意外と危険な場所なのだと、イギリスに来て思った。

 抱き合った相手が、意外にもセレブなのだと知った昨夜の事。今日の朝のテレビに映ったその人は、篠宮理人と言う名前。もう一つの、イギリス名はリヒャルト・セリンガム。日本で言う、ワイドショー的なニュース。子爵のタイトルを持っていると言った理人は、アナベラ・オルシーニという綺麗な人と話題になっていた。

『ただのゴシップ。僕が好きなのは君』

 予習なんかできなかった。帰ってくれと言った後、理人はあっさりと帰ってくれた。頬にキス一つをして、そして泊めてくれて嬉しかった、と言って。その言葉を反芻しながら、抱き合ったあとの倦怠感を感じて。頬を伝う雫を感じながらテーブルの上に突っ伏した。帰ってくれ、と言った自分の言葉にも、酷く後悔をした。

 授業は最悪。いつもは必死で覚えよとして聞くそれが、全く頭に入って来ない。予習もしなかったから余計についていけない。

 半年以上、理人と離れていた。メールをするたびに思い出して、電話をするたびに低くて澄んだ声を聞いて。すぐそばで瞬きをする青い目を思い出した。濃い青い目は、綺麗な形をしていて、その睫毛さえ青く澄んでいるようだった。敬虔なカトリックとは思えない考えも、その行動力も。すでに二つ目の博士号を取ろうとしているその頭脳も、花娃にとっては羨ましく、どうしてそんなことが出来るのか、と思うくらい。

 花娃は机の上の教科書を目の前に、小さく息を吐いた。

 理人という人に惹かれているのは最初から。顔立ちもそうだが、その前向きな生き方にも、惹かれている。花娃に持っていないものを、理人は持っているから。そう思うと、唇を引き締めて、歯を噛みしめてしまう。

「隣は空いているかな?」

 日本語でそう言われて、コツコツ、と人差し指で机を叩かれた。顔を上げると、見知った相手がにこりと笑う。

「……宮前、教授?」

「久しぶりだね、田村花娃さん」

 小さい声でそう言って、花娃の隣に座ると、宮前はにこりと笑った。そして、こちらを見る講師に、軽く手を振って笑みを向ける。それに対して講師は、ため息をつくようにして、授業を再開した。

「私もここに留学してた。あれは、後輩なんだよな」

 宮前奏は聖アンティエの神学科の教授。そして神父だと教えてくれたのは理人だった。

 花娃が宮前と初めて会ったのは、まだ出来かけの論文を発表した時だった。

「学校は? 楽しい? スキップしたんだってね、おめでとう」

「……ありがとうございます。あの、どうしてここに?」

「篠宮君と一緒に来たんだよ。もう少し交換留学生の数を増やして行こうかと思って。神学科は特に、日本には少ないしね。こちらの文化を少しでも入れて行きたいと思って。イギリスに来て、もう三日目だ」

 宮前は花娃をみて、笑みを浮かべてそう言って、それに、と口を開く。

「前二日は、篠宮君とここに来ていろいろと会議もしたんだけどね。彼は聖アンティエの理事で、経営に携わっているし。でも、純粋に学生としても見学して行ったから、制服を着てたけど」

「そう、なんですね。知りませんでした」

「君も見かけたよ。次の授業に間に合わないのか、走ってたな。篠宮君はそれを見て、頑張っているようすですね、と言っていた」

 そう言って花娃が宮前を見ると、宮前は指をさして前を見るように指示する。授業を受けているのに、結局は宮前の話を聞いているだけになっている。それに対して、ダメだと思いながら瞬きをすると、宮前が笑った。

「今日の授業一つ捨てたって、どうってことないだろ? 篠宮君は、授業は単位が取れる最低限しか出てないけどな」

「……ウソですよ」

「本当。まぁ、きちんと単位はさっさと取るけど、最後の授業なんてほとんど出ないな。教科書読めば答えがあるってさ。憎らしいよね、努力家には。ねぇ、田村さん」

 宮前が笑ってそう言った。確かに、憎らしいこと。花娃は何度も授業に出ているし、そして努力してスキップだってこなした。理人は学業のほかにも学校の経営に携わっている。確かに大変だと思う。全ての授業に出ているとは花娃だって思ってなかったけれど。

「篠宮さんがすごいのは良く知ってます。それで、なんでしょう、宮前教授」

 用事があるからここに来たのではないのか、と思いながら聞くと、宮前はにこりと笑った。年齢はかなり上だけど、この人が整った顔立ちをしているのは分かる。神父なのが惜しい、と院の学生の誰かが言っていた。

「昨夜は君の所に、篠宮君、泊まったんだろ?」

 宮前が意味深な目を向ける。花娃はその目を反らして、そうですけど、と言った。

「すごいなと思って。半年以上も離れていて、心が離れないなんて、篠宮君は情熱家だなぁ、と」

『リヒャルトの家系は情熱で出来ているの』

 相良野絵留がそう言ったのを思い出して、花娃は宮前を見る。

「宮前教授は、何が言いたいんですか?」

「篠宮君の事、許してやったら? 付き合いで行ったパーティーでスッパ抜かれたゴシップなんて、気に病むことはないと思うけどな」

「気になんかしてません」

「なんで? 好きなんだろ?」

 宮前から言われて、花娃は言葉に詰まった。宮前は笑みを向けて、たまには前を向いてないとな、と教団側を向いた。

「タイをしないまま帰ってきたところを、ロビーで会ってね。首尾はどうだったか、と聞くと朝のゴシップニュースで、怒っていた、と肩を竦めてた。……ま、確かに美人だ、家柄も申し分ないな、アナベラ・オルシーニは」

 申し分ない相手、アナベラ・オルシーニ。とても綺麗な人だったし、理人と並んで遜色なんて全くなかった。

「私もそう思います。前に、篠宮さんに言ったんです。他に誰かがいたら好きに付き合って下さい、って。私はまだ学生で、これからの事なんて、まだ分からない。篠宮さんは学者として成功し始めているのに、私は違う。それに、結婚だって、見合った人とだったらきっと幸せになるはずです」

 理人は二十六歳だった。誕生日さえ知らなくて、もしかしたらもう二十七歳になっているかもしれない。あれから半年以上たって、きっと理人は大学院を卒業するころ。理人の事を何も知らない、花娃が恋人のようなものを演じているのも、可笑しい話しだと思う。

「確かに、カトリックはカトリック同士が幸せになれるだろうけど。君は篠宮の事を好きじゃないのか?」

「知りません」

「じゃあ、何で愛し合う? もしどうでもいい相手としてるんなら、君は相当アバズレだな。私はそういう人間は嫌いだ」

 冷静な声でそう言われて、悪いが私は神父だから、と付け加えた。

「こういう話をするのは、篠宮君のため。恋は素晴らしいと思う、愛し合うことも素晴らしい。ただ、それは心の通い合った男女とするべきもの。もし、付き合ってやってるのなら、それは不純だ。優秀な彼に悪い影響を与える。はっきり別れるべきだな」

 花娃が宮前を見ると、宮前はにこりと笑った。はっきり別れるべきだ、と言われてそれが心に突き刺さるのは、どうしてだろう。優秀な人、良い家柄で、整った容貌、スタイルの良さ。何でも完璧にそろっている理人。まさに光ある人だと思う。花娃とは違う、と。

「そうですね。そうします」

 花娃が言うと、宮前は大きなため息をついた。

「私も頭が固いと思うが、君は相当なものだな。それに、頑なだ。優秀なくせに」

 どこが? と花娃は思った。優秀なんて言葉は花娃には似合わない。やっと最近になって両親が花娃の事を認めてくれた。スキップしたそれを褒めて、自分は努力を重ねて両親の思いに勝ったのだと思えた。理人に両親が自分を認めてくれた、と言うことをメールでそれを伝えた。スキップしたことは言わずに、ただそれだけ伝えた。メールでの返事は、花娃を嬉しくさせる内容だった。

『君の努力が実を結んだ結果ですね。果てない夢が届く一歩。これからも努力を惜しまないで。それが花娃さんだと僕は思います』

「優秀なのは篠宮さんです。私は遠く及ばないし、どうしてあの人が私の事を思っているのかよく分からない。私は自分の結果が出せるまで、自分を認められません。人はきっと、私の事を変な目で見るかもしれません。肩の力を抜けとか、言うかもしれません。でも、私はこれをやめられない」

 肩の力を抜いて、もし今をやめてしまったら。きっと花娃は二度と走れない気がした。

 もともと走るのをやめようと思っていた。それを理人から奮い立たされて、やはりこのレールを外れることが出来ないと、きちんと自覚して。そんな時に、理人から好きだと言われた。花娃が惹かれないわけはない。魅力的な人で、花娃をここまで引っ張り上げた人。

 でも魅力的すぎて、花娃は一般人過ぎて。どうして、こんなに頑なで、頭の固い自分を好きになってくれるのか。昨夜の熱心な行為だって、どうしてそうしてくれるのか。

「君と篠宮君は、正反対だな」

 柔らかい口調はさすが神父だと思う。けれどきっと、宮前は呆れているはずだ。

 そこで授業終了のベルが鳴って、ここまで、という講師が教科書を閉じる。いつもなら次回はどこをするのか、という予告をしてくれるそれを、花娃はキチンとメモするのに、今日ばかりはそれを聞き逃すはめになった。

「でも、君の努力する姿と崇高さは尊敬する。篠宮君が惹かれたのはそこかもしれないが」

 宮前は小さく声を出して笑った。

「もうすぐ制服を脱いで自由になる篠宮君を、世間は放っておかないだろう。善しきも、悪しきも。今回の話を断ったとしても、第二のアナベラ・オルシーニが現れる。それでも、その頑固さを貫いていくのか? 愛し合うのは罪ではなく、幸福だよ、田村さん」

 そう言って笑って立ち上がる。

「君に、もし篠宮君と付き合う気がないのなら、さっさと別れを告げるべきだと思う。でも、さっき言ったように、愛し合うのは罪じゃない。時に良い風を起こす時もあるだろう」

 顔を上げて宮前を見ると、宮前は花娃の頭を撫でた。

「今は整理がつかなくとも、すぐにわかるさ。私は神父だから、恋や愛はご法度だがね」

 花娃から手を離すと、花娃に言い聞かせるように言った。

「その幸福さを味わえる君たちが羨ましい時もある。若い君だから、恋と勉強、両方とっても行けるんじゃないか? がんばりなさい」

 花娃は一度顔を俯けて、そして離れて行く宮前を見る。

 花娃に言い聞かせるように理人の事を語って、そして恋も勉強も頑張れと言った。

 そんなに器用じゃない、と思いながらも、花娃の心の中は葛藤でいっぱいだった。

「流されたくないし、あんな人、繋ぎとめるものなんて、持ってない」

 涙が出そうになるのを堪えて、そして顔を上げる。

 今日の授業なんて、出るんじゃなかったと思いながら。

 

 

 今日は無理だと、そう思って残りの授業には出なかった。

 そうして向かった先はマンダリンオリエンタルホテル。午後三時を少し過ぎて、ついた場所はハロッズの近くで、いかにもイギリス的な建物。確かに一度は入ってみたいと思っていたけれど、目の前にすると入るのが躊躇われた。

 しかも聖アンティエの制服を着ているので、余計に、だった。

 それでも何とか一歩踏み出して中に入ると、綺麗な内装が目に飛び込んだ。ロビーにいる人々も、そのスタッフもみなどこか高級感のある人ばかり。花娃は深呼吸をして、フロントに足を進める。もう午後三時すぎ。すでに食事は終わっているだろう、と思いながら一つ息を吐いて、ホテルのフロントスタッフに声をかける。

「すみません、あの……」

 こちらを見るスタッフは笑顔だったけれど、どこか花娃の服装に不審そうな顔をした。聖アンティエの制服とコート。どう見ても学生のようなそんな恰好に、指定のバッグ。おまけに日本人の花娃だから、若く見られているかも知れなかったが。

「リヒト・シノミヤという人は、宿泊してますか?」

「お待ちください……ご宿泊されていませんが……」

 上目遣いで、不審そうな感じが余計に漂った。

「あの、じゃあ、リヒャルト・セリンガム、ではどうでしょうか?」

 それに負けずに言うと、ホテルのフロントスタッフは、顔を上げて言った。

「セリンガム様はご宿泊ですが、ご用件は?」

「私は、その、彼の後輩で……良ければロビーにいると、連絡を入れていただきたいのですが。私は、カエ・タムラです」

 かしこまりました、と言って受話器を取って連絡をしてくれた。けれど、しばらくすると受話器を置いて、申し訳ありませんが、と言った。

「セリンガム様は、ご不在のようです。何か伝言はございますか?」

 どこかに行っているのか、それともアナベラ・オルシーニと言う人の相手をしているのか。

「いいえ、結構です。ありがとうございます」

 花娃は断ってフロントから離れた。聖カティアの方へも用事があったと、宮前は言っていた。もしかしたらその関係で、不在なのかもしれない、と思いながらも花娃は大きなため息をついた。がっかりして。

 もし、アナベラと言う人の相手をしているのなら、どれだけ長い間相手をしているのか、と思う。自分で好きにして、と言っておきながらこういうところが気になる花娃は自分に、嫌気を感じた。

 もう一度ロビーを振り返ると、その場所自体にくらくらする気分だった。こんな場所に来たことがなく、勉強ばかりしている花娃には無縁の場所のように思えた。

「篠宮さん、この場所に来いって? 勇気いるよ」

 ため息交じりにそう言ったけれど、もう少し見ていた気持ちに駆られたのは、その内装が花娃の好みだったから。きっと花娃も気に入る、というような言葉を言った理人のそれが分かる気がした。たまたま開いていたロビーの椅子に座ろうとして、理人を見つけた。

「……篠宮さん」

 呟いてそれ以上声を出さなかったのは、アナベラ・オルシーニと一緒だったから。にこやかに話していて、けれどアナベラの顔がどこか歪んだ様に見えた。そのまま、理人に軽く抱きついて、綺麗な手が理人の頬に触れて離れる。

 花娃はそれを見て、二人に背を向けてロビーの椅子に座る。長い時間一緒だったのか、と思いながら、花娃の心は苦しくなっていく。これはなんだろう、と思いながらも、息を吐いてその苦しさを逃がそうと努めた。

 しばらくそうしていると、いかにもセレブのような綺麗でおしゃれな格好をしたアナベラが、花娃の横を通り過ぎた。その背を見て、息を逃すように何度も息をした。まだ苦しさが治まらない、と思いながら花娃は後ろを見た。理人はすでにいなくて、きっと部屋に向かったのだと、そう思った。

「授業はどうしたの?」

 顔を上げると、先程見た、黒いスーツ姿の理人が目の前にいた。花娃は、驚いて瞬きを繰り返した。

「この時間じゃ、まだ院にいるはずじゃない?」

「……取らなくてもいい授業だったので。上手く行ってるんですか? なんだか泣きそうだった。優しくしてやらないと、女の子に愛想尽かされますよ?」

 花娃が言うと、理人は小さく息を吐いて、花娃の手を取った。

「部屋で話そう。おいで、花娃さん」

 部屋に行ってはいけない気がしたが、花娃はその手に引かれるままに立ち上がる。

 そうして向かって乗ったエレベーターは、どこかレトロな感じに仕上げてあって、花娃の好みだった。

「いいホテルですね」

「花娃さんが気に入りそうだと思って、選んだから」

 そう言って笑顔を向ける理人を見て、すぐに目を反らした。

 エレベーターが止まって、理人は花娃の手を引いて部屋に向かう廊下を歩く。迷いもなく歩いて廊下には、ドアが少なかった。キーでドアを開けて、入った先はイギリス風の絨毯が敷かれた、雰囲気のある部屋。それを見て、花娃は何度も瞬きをしてしまう。ソファーに座るように言われて、座って、コートを脱ぐ。そのすぐ隣に理人が座る。

「まさかこんなに早く来るとは思わなかった。来ないと思ってたから」

 理人の笑みはいつも花娃を魅了する。特徴的な青い目に目が行ってしまうのはしょうがないこと。それでもすぐに反らしたのは、先程のシーンが蘇るから。

「アナベラには、気持ちには応えられないって言ったよ」

 花娃が顔を上げると、理人は花娃を見る。

「どうして? いい人だと思います。綺麗な人だったし、お似合いだった」

「どうしてそういうことを言うかな? 君が好きだと言ったのに」

「意味が分からない。まだ学生で、何も達成してない私なのに。……どこが好き? こんなに私、頑固で……篠宮さんには可愛いところなんて見せたことないのに。……もう、やめてください。私も、やめますから」

 花娃はそこで一度言葉を切って、そして理人の青い目を見て、口を開いた。

「もう、別れてください。嫌です、もう、こんなの」

 理人の事を宮前から言われて、そして思うのはやはり花娃では理人に合わないと思うこと。

 そしてもうすぐ制服を脱ぐ彼が、これからまた誰かに言い寄られるのを見るのは嫌だった。そして、その優秀さを見させられるのも。

「僕も嫌だな、君のそういうの。君は僕に学業とかそういうものでは、一生敵わないよ。君とはまずIQから違う」

「は? IQ?」

「平均が百だとしたら、それより八十は多い。元から普通の人と違っている。競争しても努力しても、頭脳の面では君は当たり前に負けるんだ。そんなものに嫉妬しても、意味がない」

 こんなこと話したくなかった、と言った理人はため息をつく。

「どうすればいい? 学業はともかく、その他は? 君が頑固なのは良く分かってるし、それにその頑なさはある意味尊敬できる。それくらい強く、君に思われたいくらい。……花娃さんの努力する姿は綺麗だ。そこに強く惹かれる、すごく好きだ。別れるなんて、嫌だ」

「でも……」

 だって、どうすれば。

 まだ、理人との、好きだという気持ちに応えるわけにはいかない気がした。花娃はそれだけで意志が弱くなるのを感じる。

「昨夜はあんなに素直に身体を開いたのに、どうしてたったあれだけの事でそうなる?」

「あれだけの事、じゃない。だって本当に似合ってた。本当に素敵な二人に見えた。ロマンスなんて報道されて、誰もが信じますよ、あれは。私みたいな日本人の学生よりも、よっぽど絵になって綺麗だった。これからだって、ああいう人、出てくるに決まってるから」

 花娃は本音を出し切ったように思えた。それでも足りなくて口を開く。

「普通のサラリーマン家庭の普通の女です、私。ただちょっとだけ努力したら、自分が学者になれそうだという夢が出来ただけの、それだけの女です。何も持ってないし、小さなアパート暮らしがせいぜいの、まだ学生。……篠宮さん、そんな私でいいわけ? いいわけないですよ」

「そんな花娃さんの、何が悪いわけ?」

 即答されて息が詰まった。

「だって、僕と父はイギリスで生きるというラウンドを捨てて日本に来た。タイトルはあっても長く社交界に出ていない僕たちは、もう名前だけの貴族。あんな風に騒いだのは、オルシーニ家が社交界で有名だから。もし、君とだったらゴシップにもなりはしない。報道もされることはない。それに、花娃さんは普通に生きれないと思うよ」

 理人は花娃の頬を拭った。いつの間にか涙が頬を伝っていたらしい。

「どうして?」

「君は絶対、考古学者になって、そして有名になるから。思いと努力は、真実になるように決まっている」

 花娃は詰まっていた息を吐いた。理人は、花娃の肩を引き寄せる。

「何も怖くない。怖がらなくていい。もっと僕の傍においで、花娃さん」

「怖がってません」

 花娃が外を向くと、理人は花娃の耳の上で笑った。

「僕は、努力する花娃さんが好きだ。ちなみに、市橋夫妻の夫の方だけど、奥さんが本当に振り向いてくれるまで、十二年も待ったらしいよ。振り向いてくれなかったら、あと十年待つつもりだったって。……本当に、気の長い話し」

 理人は花娃の頬に触れて、そして少し上を向かせる。

「僕はそんなに待たないし、別れると言っても別れない」

 理人はそのまま花娃の唇にキスをした。軽く唇を挟むようにして、すぐに離れて、花娃の名を呼んだ。

「半年以上前に言ったこと、もう一度言うけど、結婚して。そして、傍にいて」

「い、嫌です。そんな風に逃げたくない」

「逃げじゃない。半年離れて、やっぱり君が傍にいないと、僕がだめになりそうだった。僕のために、結婚して」

 青い目が瞬きをして花娃のすぐ近くで、その澄んだ思いを告げる。

 どうしてこんなに素直に、しかも情熱的に言えるのか。

 理人はしっかりと外国人だ、と思いながら花娃は首を振った。

「まだ、学校、卒業してない……っ」

 今度は本格的に唇を奪われて、ソファーの背に身体を押し付けられる。

「成人してるのに、それって問題かな?」

 十分問題だ、と思いながら、先程までの自分の思いはどこに行ったのか、と思う。

「いや、ダメです! ……篠宮さん……っ」

「結婚したら、君だけになるのに、嫌なの?」

 凶器のような甘い色を浮かべる青い目に見られて、花娃はこれをどうかわしたらいいのか、と思う。

 まだ未熟な学生で、何も達成していない、二十四歳になったばかりの花娃。

 首を振って、理人を見ると、理人はため息をついて、花娃から一度離れた。ホッとするのもつかの間で、花娃は理人の肩に抱えあげられる。

「きゃあっ! ちょっと! 篠宮さん!」

 ボンっ、とベッドの上に落とされて、身構える暇もなく、理人が花娃の上に覆いかぶさって。

「ベッドの中では素直だし? 結婚すると言うまで、抱こうか」

 瞬きをして見上げると、花娃のリボンタイが引き抜かれる。首を振ると、その顔を両手で包まれて、じっと見みつめられて。

「結婚して、花娃さん」

 胸に触れてそこを服の上から食むようにして口に含んで。

「い、や……っ、強引! 篠宮さん、キャラ違う!」

「強情。そこも好きだけど」

 笑った理人は花娃の服を脱がしにかかる。それに抵抗すると、乱暴したくないよ、と体重をかけて来て。

 少しだけ息が詰まったその時に昨日と同じような息もつまるキスをされた。

 

 

【2013/10/05 08:38】 | Uniform | トラックバック(0) | コメント(0)

Uniform:10

 イギリスに来て半年以上たって。論文も書きながら何とか頑張って、成績も維持したおかげで、スキップが決まった。一年短縮はすごい進歩。とても嬉しくて、今までお世話になった市橋夫妻や、相良教授にメールを送った。これで緩んではいけないと、そう思いながらも、スキップが決まったことは、少しだけ肩の荷が下りた気がした。

 住んでいる場所は狭いアパート。教材とテーブルとベッドがあったらやや狭さを感じる程度。それでも立派な台所もあって、快適に暮らせる。ただし、この風呂だけはどうしても慣れない。たまにお湯の出が悪くて、とても困る。冬を越せるのだろうか、と思ったら、工事をしてもらって何とかきちんとお湯が出るようになった。

 自分は恵まれていると日々感じながら過ごしていた。スキップが決まって、勉強をしている或る夜に、インターホンが鳴った。来るのは大学院の学生友達くらい。けれど、今日はそんな連絡もなく、ドアスコープを覗くと、予想もしない人。メールのやり取りはあっても、ここに来たことはなかった。初めて来たその人を見て、緊張をしながら、ドアを開けて見上げると、黒いコートを着たその人は青い目でこちらを見た。

「久しぶり、花娃さん」

「……イギリスに来てたんですか?」

「用事があって。出かけ先からそのまま来た」

 そう言う相手をよく見ると、黒いコートの下は蝶ネクタイを身に着けたスーツだった。足元はピカピカの綺麗な靴を履いている。そういう姿が様になっていて、花娃は目を見張った。

「中に入れてくれないのかな?」

 苦笑したその人を家の中に入れた。はっきり言って狭いアパートのいるような人には見えなくて、花娃は気後れする気分だった。

「綺麗に片づけてる」

「狭いから。篠宮さんは、何かのパーティーの帰り?」

 コートを脱いだのでそれを受け取る。黒のジャケットと黒の蝶ネクタイ。中にはドレスシャツを着ていて、どこの貴族様だと思った。イギリスは貴族社会とかそういうものが根強く残っているのが良く分かる。

 篠宮理人。花娃の恋人のような人。

「篠宮さん貴族みたいですね」

「一応、子爵のタイトルは持ってるけど。今日はどうしても外せなくて」

 初めて聞いた事実だった。青い目をした黒い髪の整い過ぎた優しげな顔は、いつ見ても見とれるほど綺麗だった。

「すごい、初めて聞いた」

「初めて言ったから。社交界にもほとんど顔を出さないし、こちらの城も館も全部売ったから。もう戻って来ないと思われてると思う」

「しろ、ってお城ですか?」

「うん、まぁ、そう」

 最後は言葉を濁して、笑みを向けて小さなテーブルの椅子に座る。

「お茶を用意するから待ってて下さい。今日は実はお菓子も買って来たんです」

 ちょうどよかったと思いながら紅茶を用意して、お茶菓子も置いた。マカロンとショートブレッド。こっちの方は焼き菓子が多いことを一番に感じた。

「ありがとう」

「……本当に久しぶりですね」

「君はメールはくれても電話はくれない。別にいいけど」

 何度か理人から電話がかかってきた。ほとんど留守電で、二回くらいしか出たことがない。花娃もメールしかやらないから、いつの間にかそうなってしまった。

 紅茶を一口飲んで、理人は花娃を見た。瞬きをしてその視線を受け取ると、理人は笑みを浮かべて言った。

「今夜泊めてくれる?」

「え? あ、でも、ベッドシングルで狭いし。あとは小さなソファーしか……」

「シングルでくっついて寝るのもいいと思うけど。だめ?」

 久しぶりの誘惑めいた言葉。理人はいつも積極的だと思う。

 理人と寝たのは一度だけ。その後すぐに留学を決めたから、それ以来会っていない。

 期間は半年以上。

「僕は君と別れたつもり、ないんだけど」

「そうで、すね」

 花娃が笑うと、小さなテーブル越しに、理人の大きくて綺麗な手が、花娃の頬を包んだ。

「篠宮さん、ホテルに泊まってるんでしょう? 帰った方が快適に眠れるし、ここはシャワーもなんか時々おかしいし」

 理人が花娃の家に泊まる。くっついて寝る。想像することは一つ。花娃がごまかすように言うと、理人は笑みを浮かべたまま言った。

「じゃあ、花娃さんが僕のホテルに来る?」

 花娃が理人を見て、目を伏せると、花娃の頬から手を離して、紅茶を飲む。

「ちなみに、シングルじゃないよ。綺麗にメイクされた、綺麗なベッド」

 カップを置いて青い目が花娃を見て、思わせぶりに瞬きをして。頬杖をついて、笑みを浮かべる。

「マンダリンオリエンタル、ハロッズの近く。どう?」

「リッチぃ……」

「あの建物とか、中身とか、花娃さんも女だから好きだよね? 入ってみたくない? シャワー浴びて、お酒飲んで、一緒に寝ない?」

 理人が言うセリフは、明らかに花娃を誘うセリフ。目線も、頬笑みも。

「誘ってます、よね?」

「もちろん。たった一回抱いただけ。そして半年以上、会ってない」

 綺麗な格好をした理人。顔は整っていて、綺麗な顔。けれどその服の中身はきちんと、程よい筋肉が張った男そのものだったことを思い出す。

「明日は……」

「昼から出て行けば充分でしょ? 良く知ってるよ、聖カティアだから」

 テーブルの上に置いていた手を取られて、指を絡ませられる。

 目を伏せて、睫毛さえ青く見えるような、その目が思わせぶりに花娃を見て。

「おいで、花娃さん」

 花娃は、大きく息を吸って吐いて、理人を見る。

「昼前には帰りたいです」

「ここに? いいよ、送ってあげる」

「午前中、早めの時間に……」

「授業は午後一時四十五分から。早めに戻ってどうするの?」

 よく知ってるな、と思いながら花娃は答える。

「予習です。授業中に眠りたくないし」

 理人はため息をついた。

「来ないんだね?」

 小さく頷いて、紅茶を飲み干して、理人は席を立った。

「帰るよ。ありがとう、紅茶ごちそうさま」

 にこりと笑った理人はかけてあるコートを手に取った。それを着て、こちらを見る。

「じゃあまた。あと二日はイギリスにいるから」

 背を向けて鍵を開ける。ドアを開けたところで、花娃は立ち上がって、理人の腕を掴んだ。

 何故そうしたか、何故引きとめたのか。

 本当に明日は授業があって、昼からだとしても、予習をいつもしていて。だから今日は予習をして少し早めに寝て、遅く起きてまた少し予習をして、聖カティアの大学院へ行くつもりだった。

 理人の事は、恋人のような人だと思っている。嫌いじゃなくて、抱かれるのも嫌じゃなかった。

 ただ、いつも嫉妬している。理人の頭脳とか才能に。それだけのものが花娃にあったなら、花娃は素直にもっと理人の事を好きになったと思う。

「シングルベッドでいいですか? ……シャワー使いにくいですけど」

 声が小さくなっていく。何を言ってるんだと思った。

「あと、ゴム……あるなら」

 花娃は理人の手を離した。

 見上げると、青い目が花娃を見て、小さく息を吐いた。そして、ドアの鍵を閉めて、チェーンをかけて。

「……っ!」

 強く抱きよせられて、息も止まるようなキスをした。

 

 

 玄関の壁に押し付けられて、繰り返しされるキスに酔って、膝が崩れ落ちそうになると、理人は花娃の足を少し浮かせるくらいに抱きあげて背中に手を回す。キスをしながら移動するのに、花娃は理人のコートを掴むことしかできなかった。

「しの、みや、さん……避妊、してくれなきゃ、やだ……っ」

 花娃の身体がベッドに運ばれて背がそこについて、上からキスをされる。息をさせないように、声を出させないように、そんなキスだった。理人は花娃が言った言葉を理解しているのか、と思いながらも、首筋に顔を埋められてそこに唇の感触を感じると、思わず首をすくめて声が出た。

「ぁ……っん」

 篠宮さん、と花娃が理人を呼ぶと、理人は花娃の手の上に固い感触のものを乗せた。なんだろう、と思って掴むと、それはまだ新しい小さいコンドームの箱。

「避妊は罪だけど、しょうがない」

 コートを脱いでジャケットも脱いで。首にしっかり締められていた蝶ネクタイが、理人の綺麗な指で、性急さを感じさせるほどの仕草で解かれる。サスペンダーを外して、ドレスシャツのボタンを片手で器用に外しながら、花娃の身体に覆いかぶさった。唇を噛むようにキスをされたあと、花娃の上着を引き上げて、下着のホックを外す。その下着も押し上げて、理人の頭がそこへ沈んだ。

「……っ、……っは」

 久しぶりの感覚。初めて理人に抱かれた時も、胸を長い時間愛撫された気がする。そうしながら、大きな手が花娃のスカートに入って、下着とタイツを一緒にずらした。スカートのファスナーも下げて、全て一緒に脱がされて。理人の背に自然に回った手が、シャツをギュッと掴んでいたことを思って。

 綺麗なシャツが皺になっているだろう、そう思って指を何とか開こうとして、そして開いたけれど。

「あ! ……っ、やだ、ま、って」

 下半身の全てを脱がされて、足の間に手が入る。開いていた足を閉めたけれど、そこの指が動いて、唇を噛みしめて、理人のシャツを掴んで背を反らした。

 胸と足の間。両方を理人から触れられて、花娃の身体は急激に高まる。心臓の音がうるさい。早くなっていく息と声を止められない。

「しの、みや、さん……っ」

「花娃……」

 吐息のように名前を呼ばれて、余計に苦しさが増した。理人は花娃の胸から唇を離して、そして花娃の上着を完全に取り去る。

「手、離して、花娃。シャツが脱げない」

 ずっと握っていたシャツを言われて離して、シャツを脱いだ理人の肌が露わになる。程よく筋肉の乗ったからだ。勉強ばかりしているのに、この身体なんだ、と思う。理人の中に流れる外国人の血が、体格を良くさせるのか、なんなのか。コンドームの箱を手にとってそれを開けて、適当に取り出すのを見る。

 そうして、スラックスのジッパーを下げるのが分かって、理人の興奮しているそこを見て。

「篠宮さん、他の誰かと、した?」

 あんまり会いに来ないでください。他に誰かがいたら、好きに付き合って下さい。

 花娃はそう言って理人と空港で別れた。

 理人はその通りにしたのだろうか、と思う。少なくとも、あんまり会いに来ないでください、という要望には応えてくれていたと思う。

「君がいるのに、するわけない」

 きっぱりと答えた。本当にそうだろうか、と思いながらも、嘘はつかない気がした。

 綺麗な理人の下半身は欲を示していて、花娃は思わず息を飲んだ。目を閉じて、顔を反らして、開かれる足をそのままに、力を抜いた。

「痛かったら、言って」

 顔を反らしたまま目を開いて、これからされることを想像して、何度も呼吸をした。片手は花娃の膝の上に置いて、花娃の足の間に手の感触を感じたと思ったら、大きい固いものが花娃の隙間を埋めた。

「ぁ……っ」

「……は」

 理人の息を吐いたそれが小さな声に聞こえた。

「……っ、篠宮さん」

 久しぶり受け入れたそれは質量が大きくて、花娃が眉を寄せて名を呼ぶと、理人は頬に触れて笑みを向ける。

「痛くない?」

 頷くと、頬にキスをして、耳元で口を開いて理人は何かを呟いた。思わず赤面するその言葉に、思わずその肩を拳で軽く叩いて。声を出して笑う理人は久しぶりに見たと思った。

「動かないの? 篠宮さん」

 花娃の中に入ったまま、動かない理人にそう言うと、理人は花娃に小さいキスをした。

「もう大丈夫? 慣れた?」

 理人自身はきっと大きい方だと思う。少ない男性経験上の事だが、そんな気がする。花娃はすぐにいっぱいになってしまうから。大腿の上を、大きな綺麗な手が滑るのを見て、花娃がもう一度頷くと、理人は足を抱え直して、腰を花娃に押し付ける。

「んんっ」

「花娃の中、狭い。半年前と変わらない」

 そうして緩やかに動き出すのを感じて、息を詰めて吐き出して。拠り所のない手を理人の腕に絡めた。

「あ、あ、しの、みやさん」

「その、切なげな声、すごくイイけど……。理人、ほら、呼んで」

 少し腰を揺らす速度が速くなって、理人からそう言われて、目を開ける。瞬きをして、青い目を見て。

「り、ひとさ……っん、もう少し、まだ……ゆ、っくり」

「無理、よすぎて、むり」

 片言のように、そう言って、花娃の中を出入りして、時々その中を回すようにして。

 一度抱かれた時と違って、二度目はどこか執拗な感じだった。花娃の官能を引きだすように触って、繋がった部分を揺らした。声が上がって、それでも大きな声を耐えたのは、隣に聞こえるのではないかと思ったから。花娃のアパートは治安は良いが安い物件。隣の話声も聞こえる時がある。

「となり、聞こえる」

 理人の腕を掴んで、そう言うと理人は花娃の身体を引き上げた。より深く理人を受け入れることになって、息を詰めて理人の肩にしがみついた。

「隣の真面目そうな日本人、男とやってる、って?」

 綺麗な顔をして、そんなことを言うのか、と花娃は息を詰めながら思って。

「それが何か、悪いこと?」

「理人、さん、カトリックのくせに」

 聖カティアに来て、特にそう言うことを感じるのは、ミサとかそういうものに出ることが多いから。そして、カトリックに基づいた授業だってある。だから、少しばかり詳しくなってしまった。こういうのも、罪である時が、あること。

 花娃がそう言うと、理人は花娃の身体を下から突き上げて笑った。

「愛しあうことは罪じゃない」

 そうして、花娃の身体を何度も下から突き上げて。何とか声を堪えようとするけれど、声が出てしまった。

 何度もそうされて、キスをして、腰を引き寄せられた時に、背を反らして理人の肩に回した手に力を込めて。心地よさとか苦しさとかがない交ぜになって、達して。

 その後何度か腰を揺らされて、そして腰を強く引きよせたかと思うと、何度か強く打ちつけて、その動きが止まる。達した余韻と、そのあと内部を打ちつけられたそれで、身体が酷く脱力して。

「して、良かったでしょ? 花娃さん」

 理人の身体に身体を預けて息を忙しなく吐き出して。

 理人の大きな手が背を撫でた。

 花娃の息を整えるのを、手伝うように。前も同じようにされて、心地よく感じたのを覚えている。

「理人さんは?」

 少しずつ整ってくる呼吸の合間に、質問し返すと、理人は耳元で微かに笑った。

「よかったよ。証拠、見る?」

 そう言って花娃の身体を横たえて、理人はつながりを解いた。

 それにすら感じてしまって、甘い声が出て、恥ずかしかった。

 

 

 何度も抱き合って、狭いシングルベッドの上で、ようやく息が整った。そうすると、壁側の理人が花娃の身体を抱きよせて、肩にキスをした。

「学校はどう?」

 耳の辺りでそう言われて、少しくすぐったさを感じた。

「とても、楽しいです。スキップしましたよ」

「ああ、そうだった。おめでとう、花娃さん」

「……まだまだ、ですけど」

 やっと一年スキップしただけ。あと一回しなければ、目標とするところへ行けない。博士号を取って、そして日本に帰ってきちんと考古学者として研究を進めたいと思う。それが出来るための一歩を進めたばかり。

「篠宮さんには及ばないから」

「理人、だよ、花娃さん」

「理人さん」

「さん、もいらないな。理人でいいのに」

「じゃあ、花娃って呼ぶべきですよ」

 たかが名前くらいで問答したところで理人が笑って、花娃さん、と言った。

「君は、花娃さん、でいい。でも、僕は理人、いい?」

 耳に髪の毛をかけられて、そこへ小さいキスをされて。なんだか変だ、と思う。今日は理人の魔法にでもかかったように、理人の言うことを聞きたい気分だった。

 いつも反発しているのに、どうしてだか今日ばかりは胸が高鳴って、彼の言い分を素直に聞いた。

「じゃあ、理人。もう寝ませんか?」

 理人は笑って、深く花娃の身体を抱きしめて、そして首にキスをした。

「そうだね、今日はもう寝ようか」

 腕の中にしっかりと閉じ込められて、花娃はそれに身を預けて目を閉じる。

 けれどすぐに開けて、理人に言った。

「寝にくくないですか?」

 花娃が言うと、理人は小さく息を吐いて、言った。

 寝にくさも、愛しあった証拠、だと。

 訳が分からない、と思った。

 

 

 翌朝、遅い時間に起きて、肩が痛いと思った。抱きしめられて腕枕で寝ると、肩がこるものらしいと、花娃は気付いた。理人はすでに起きていて、どこかの朝食でも食べに行く? と言った。花娃が首を振ると残念そうに、まだ裸の身体を起き上がらせて、シャワーを浴びに行った。

 あまり強く水の出てこないシャワーを浴びて、面白いな、と言いながら出てきて。交代で花娃もシャワーを浴びた。

 紅茶を入れて、昨日の焼き菓子を朝ご飯代わりのように二人で食べて。テレビをつけると、日本ではワイドショーのようなニュースがあっていた。ゴシップのようなそれを見て、理人はため息をついた。

「やっぱり、ホテルのご飯、食べない?」

「そんなお金ないですけど」

「僕が出すのに」

 お金持ちめ、と思いながらテレビに視線を移すと、違うゴシップに変わっていた。

『マーティン卿、リヒャルト・セリンガム氏と、イタリア貴族の末裔でセレブの、アナベラ・オルシーニとのロマンスは……』

 テレビの画面には、昨日と同じ服を着た理人がいた。

『社交界から消えていたセリンガム家は名門であり、敬虔なカトリック教徒の家柄。同じくオルシーニ家もまた……』

 テレビの画面が音を立てて黒くなった。

 理人の綺麗な指がリモコンから離れて、大きく息を吸って、大きく息を吐いた。

「つまらないゴシップを。いつの間に……」

 黒くなった画面にそう言い放って、花娃を見る。

 綺麗な人だった。ブラウンの髪の毛と、同じ色の目を持つスラリとした綺麗な人。背も高そうで、理人の隣にいて遜色なく、上品で。

「なんだ、篠宮さん、誰かいたんですね」

 花娃がそう言うと、何度も青い目が瞬きをした。そして、違う、と言った。

「ただのゴシップ。僕が好きなのは君」

「でも、テレビの中の篠宮さん、昨日と同じ恰好。デートの後、ここに来たんですね」

 何が違うのか、と思う。けれど、理人は嘘はつかないとも思う。

 ただのゴシップで、理人が好きなのは花娃だと。嘘はないように思える。

「花娃さん、あれは、デートじゃない」

「じゃあ、何?」

「オルシーニ家が主催したパーティー。出席しないと、父がうるさいからそうしただけだ」

 そこをたまたま写された、と理人は言った。

「篠宮さん、別に、いいです。他に誰かがいたら、好きに付き合って下さい、って言ったの私だし」

 普通に笑ったと思う。でも、笑えてない気がした。

「正直に言うと、この後、ランチも一緒にしなければならない。でも、ただ、セリンガム家としての建前。僕が好きなのは、何度も言うけど、花娃さんだけだ」

 その頭脳にも心にも惹かれるのは君だけ。

 そう言った理人を思い出す。

「篠宮さん、でも、あんなに綺麗な人だし。私はただの学生だから……だから……」

 好きに付き合って下さい。

 そう言うつもりだったのに、言えなかった。どうしてだろう。昨日熱く抱かれたからとでも言うのか、と花娃は心の中で考えながら、理人を見る。

「花娃さん、僕は理人。昨日、そう呼ぶように言ったよね?」

 理人は青い目で見て、瞬きをして、本当に作られたように綺麗な顔をしている。

「僕は、君の頭脳も心も、本当に欲しくて堪らない。あれは、本当にただのゴシップ」

 理人が手を伸ばして、花娃の手を掴んだ。花娃はそれを見て、小さく息を吐いた。これ以上なんだか心を乱されたくなかった。

「帰ってください。授業の、予習を、するので」

 花娃が言うと、理人は大きくため息をついて手を離した。

 分かった、というように立ち上がって、ジャケットを着た。

「マンダリンオリエンタルでランチなんだ。あと二日滞在するから、よかったら今日の夜にでも来て欲しい。来なかったら、僕がここに来るから、夜はいて。いい?」

 花娃は頷かなかった。

 理人はそれを見て、コートを手にとって、それを着て。花娃の頭を撫でて、頬にキスをしてそして言った。

「泊めてくれてありがとう、すごく嬉しかった」

 花娃が見上げると、いつもの笑顔。

 その睫毛さえ青く見えるようなその目が瞬きをして、小さく手を振る。

「きちんと鍵、しめといて」

 頷くと、理人はそのドアを開けて出て行く。

 音を立ててドアが閉まって、花娃は立ち上がって、鍵を閉めた。

 そうして、もう一度テーブルに戻って、予習をしなければ、と思った。

 なのに。

「どうして、足が立たないんだろう……」

 テーブルに縫いつけられるように、花娃はそこから動きたくなくて。

 理人の先程のゴシップを思い出して、胸が苦しくなるのを抑えきれずに。

 頬を伝う雫を感じて、何をしているんだろう、と思った。

 昨夜の余韻、倦怠感を感じながら。

【2013/10/05 04:18】 | Uniform | トラックバック(0) | コメント(0)
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